戻る
2011年11月24日 の記録
藤原富男さん、幸子さん【花西地区】
投稿者:早川峻介
カテゴリー: 土地の人に聞け
拡大してみる
〈藤原富男さん〉
太田の農家に生まれる。教員時代に高村光太郎と交流があった。市民文化団体協議会や花巻レクリエーション協会の初代会長も務めた。

〈藤原幸子さん〉
藤沢町に生まれる。幼少の頃には宮沢賢治童話劇を行う「賢治子供の会」に参加していた。現在も宮沢賢治の方言作品の朗読などを行なっている。



高村光太郎さんとの思い出〈富男さん〉


① 光太郎さんから菓子折りをもらった

 俺は高校は農学校(現花巻農業高校)を卒業した。若い男たちは兵隊にとられたから、戦後、若人たちがいなかった。先生が足りないので、農学校終わってから、太田小学校に来い、と言われて行ったんだ。昭和27年に採用されて29年までいた。山口の分教場に回されたとき、高村光太郎さんが住んでいたのさ。

 山口にいたときは光太郎さんに、個人的にお世話になった。郵便物が来ると、冬は学校留まりだった。郵便屋は山荘まで配達しないので、俺が郵便物をまとめて山荘に届ける役目だった。何回でもなかったんだけどね。ちゃんと光太郎さんは覚えてけでね。

 光太郎さんは週に1回は必ず大沢温泉さ行った。あそこ歩いていくと、神明(しんめい)という電車の駅があったんだよ。そこから乗って行って、夕方帰るわけだ。

 ある春先に、たまたま木曜日、俺が泊まりだったのさ。学校の扉を黙ってガラっと開けた人があった。光太郎さんだった。その頃はそんなに偉い人と思わなかった。法被を着て長靴履いているものだから(笑)。「いつもお世話になっているから、温泉の帰りに買ってきた」と、生菓子の箱を持ってきた。「これ、藤原先生にあげるのだから。いつも世話になっている」と。温泉の帰りに買ってきたと。菓子箱を翌日に開けて、みんなに見せる気してた。でも、食べたかったんだな。「藤原さんさ、やる」と言ってたし…。(その夜、一人で)一つ食い、二つ食い…結局1箱を食べてしまった(笑)。やいや、そしたら具合悪くなった(笑)。立派な菓子詰めだったが、なんと具合悪くて…2、3日は具合悪かったな(大笑)。


② 草取りのこと

 山口分教場は複式学級で、俺は3・4年生を任されていた。ところが教科書もろくなものがない。帳面もない。借りてきたもの読んだり読ませたり。本当は時間割通りやらなくてはならないが。天気がよければ山さ行って、相撲取りして遊んだり。

 いつも山荘の前の庭が草ボウボウだったのさ。いつも山さ行くとき、前を通ってたから見てた。ある日、光太郎さんのところさ行った。みんなで草取りしてあげるか、という話になった。今ならボランティア。奉仕活動。

 ある天気のいい日、10時頃だったか、ガヤガヤ騒ぎながら行ったわけさ。そして草取り始めたわけだ。先生は夜起きて、昼寝てる人だもんな(笑)。(そうしたら光太郎さんが)なんと怪訝そうな顔をして起きてきた。「おいおいダメだよ。草取らないでくれ」と言った。

 (褒められるどころか)怒られたから、子供たちはビックリした。光太郎さんはその顔を見てね、悪いこと言ったと思ったんじゃないかな。「やあや、ごめんごめん。その辺の石拾って座ってください」と言われたから、みんな石っこ拾って、山荘の前さ半円になって座ったわけさ。あの人も考えたんだね。「じつはね、今草取ってもらって、ありがたいけどね。雑草といっても、みんな親がある。その辺の虫けらも親があるから、こうしているんだよ。雑草もむげに取ったら、親が悲しむんだよ」と。あのときはピンとこなかったが、命を粗末にするこの時代になってさ、あの話は今のことを言っている。なるほどそうだもんね。いろいろなことを聞いたったけど、そのことを言いたかったようだ。2、30分話しされて、分かりました、と帰ったことあるよ。


③ どぶろくが大好きだった

 あの時代、地域の人たちが集まる場所は学校しかなかった。公民館がなかったからね。何かの時は必ず学校。学校の暖房は大きな火鉢だった。あるとき、飲み会だったおね。光太郎さんもいたし、地域の有力者が集まって。みんな酒を持ってくるわけさ。光太郎さんは、どぶろくが好きでね。「僕、これがいいんですよ」と。あの当時、いっこ(少しも)偉い人だと思わなかった。(今になって考えると)何か一筆書いてもらえばよかった(笑)。


④ 東京からの訪問者を追い返した

 あの頃この辺りに黒塗りの車なんてなかったもんな。ホコリを立てて、東京ナンバーの車が来る。(訪問者があっても)気にくわないば、会わないで帰すんだっけな。あれはビックリしたったな。かなり偉い人なんだなと、そのとき思ったった。車なんか見ることなかった時代だった。



山口分教場から新興製作所勤務へ、谷村貞治さんとの出会い〈富男さん〉

 学校の共済組合にいたとき、谷村貞治さんと出会った。そのころ青年会というのがあった。俺が20歳前後だった。ある日、「万福」で飲んでいたとき、谷村貞治さんが俺のところ来て、「今、何やっている?」と聞いてきた。「今、こういうところです」と答えると、「すぐ俺のところさ来い」と言うわけだ。「先生やるより、俺のところに来る方が給料いいから来い」と。校長からは、「困る、困る」と言われたが、おれも街に行きたかったんだね(笑)。あの頃、自転車で山口まで通うのもゆるくなかった(大変だった)。9月頃に学校を辞めて谷村(新興製作所)に行ったのさ。

 谷村さんは、やるならやる。その分は俺が保証するからっていうような人だったもんな。おれが新興にいたとき、労務課だった。組合交渉がある。たとえば「今年のボーナスなんぼけろ」と行くでしょう。「おめだち、そればかりでいいってか。もっとやるから、もっと稼げ。なんぼでもやるから」と、そういう話だった。

 あの頃、この辺のいろんな団体、個人も、谷村からのいろんな寄付で随分助けてもらったんだおな。いろんなところを潤したと思うよ。昭和20年から30年頃の話だね。



リズムヤンガーのはじまりと母親のこと〈幸子さん〉

 その当時、青年会活動をしていた若い人たちがリズムヤンガー(※)の始めだよね。練習する場所がなくて、何回でもないけど、狭っこいうちの家に来て、そこで鳴らして始めたんですよ。練習をやったの。場所は藤沢町だった。そのあと練習する場所を見つけた。私が名前を覚えているのは5、6人。そういう人たちが集まってきて、家で練習したんだっけ。

 それで練習もそっちでするようになったので、うちの家では数回しかやっていない。その人たちに、ご飯を出したことあると思うよ。母親はとても慈悲深い人で、腹をすかせている人見れば、家の人たちはそっちのけで、まずご馳走する、そういう人だったの。当時は物もらい(乞食)に来る人たちがいたったから。私たちは我慢させられて、(乞食に食べ物を)やるんだっけ。「これはみんなお前たちに、あとでかえって来るもんなんだぞ」と、炊きたてのご飯を握ってやるんだよ。


※リズムヤンガー…昭和21年に花巻で結成されたアマチュア社会人ビッグバンド。



宮沢賢治の劇で舞台に立つ〈幸子さん〉

 照井謹二郎先生(宮沢賢治の教え子)が「風の又三郎」(の劇)をやるとき、又三郎役をする子を探していた。宮沢アツオさんが兄ヒロシがいいんでないかと、うちに誘いに来た。引っ張られて兄が又三郎をやるようになったわけだ。そうして私にも声がかかった。

 たまたまその年に第1回の岩手県独唱コンクールがあったの。その時に私は花巻小学校の代表で出て、特賞をいただいたの。そういうのもあって、引っぱったのかもしれない。声をかけられて行くことになって、そして八戸でも歌わせられたわけだ。八戸でも私と宮沢のむっちゃんと熊谷みっちゃんと3人で歌った。にわか前座。アベタカシ先生の伴奏で。雪渡りの劇中歌はキクチトシエ先生が作った。その次のカイロ団長、あのときは童謡の「月夜の田んぼに〜」なんての歌って、伴奏なんてのはなかったんだよ。たぶん次の年の「風の又三郎」からアベタカシ先生。2千人くらいの前で歌ったんですよ。マイクがないところで、シーンとしたところで聴いてくれた。後ろまで声が届くかと思ったが、よく声が出た。



忘れられない、おふくろの味〈幸子さん〉

 やっぱり、もう一回食べたいのは、おふくろの味だね。うちのばあちゃんの煮付け、味付けが良かった。こんなでっかい鍋に、「今日は無尽するぞ」って、何十人分も作るわけですよ。大根、こんにゃく、昆布、しいたけ……。ちくわが入っていたかな。本当においしく出来上がるんですよね。それとマヨネーズをまだ売ってない頃、卵と油でマヨネーズ作った。どこのお母さんもそうだったと思うけど。とにかく一生懸命。お雛さんのときはキリセンショを作ったね。お彼岸団子もつくった。魔法使いじゃないかなと思うくらい、いろんなもの作ったよね。



夫婦のなれそめと大臣表彰

幸子さん
 主人と何が縁で一緒になったかというと、フォークダンスなんです。(富男さんは)フォークダンスの会長だったの。あたりからけしかけられてね。決めるきっかけは、高村光太郎先生のところで先生をしていたことが、やっぱり何となくね。そういうご縁だったの。主人とは学年にすると7年違うかな。

富男さん
 この前、中川文部科学大臣に個人表彰されたよ。レクリエーションやった関係で、功労者として。長くやったからね。岩手県から4人。

幸子さん
 私もついていったの。去年は岩手県から表彰状をもらった。長くやったから。よく夫婦も続いたわね。昭和36年結婚して51年。今は満たされている。やりたいことやらせてもらっているしね。ただし、やりたいことの10分の1くらいだよ(笑)。



【取材担当】鹿川、丹後、伊藤
最終更新日: 2017年03月05日
この記事へのコメント