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信楽寺怪異
投稿者:ふるさと 遺産研究所
カテゴリー: 怖い話
 吹張丁神明の社の下より西へ行く丁を山伏小路といふ。新町の外れ稲荷へ行く追分けの堰に一本橋あり、此の堰の上を藤沢といふ。此の一本橋の所、往古は土手にて此堰の所を築き留め堤と成し、里川口村の用水にてありしが、里川口村此堤にて水不足ゆへ、豊沢川より水を揚げ今の里川口堰是なり。夫より此藤沢の土手を破り、一本橋をかけ置、右の堤の所を田畑と成し、新町は明暦年中町となる、其以前は西在の者此藤沢の上の北の道より今の甚兵工蘭塔の際まて諸士丁にて宝暦の頃まで信楽寺、西の方は小山田茂平太、東は中野八郎兵工宅地なり。櫛引善八も此山伏小路の方表門成りしが、其後今の表門町屋敷を潰し門口と成しける。扨又享保末の年の頃、何某此信楽寺門前に卆倒して居けるを、朝往来の者見付其家に行きて斯と知らせければ、大に驚き引取介抱しけるに、ややあって蘇生したり。家内ども其子細を問けるに、昨夜八ツ頃と覚しか、右の場所通りかかりしが、信楽寺門内に夥き人音しけるゆへ、門の透き間より覗き見るに、大い成る車一輪あり、左右に鉄の棒を突き牛頭馬頭の様なるもの居ける所へ出家の一人来りしが、彼の車へ乗るや否やそれ引けよといふ儘に門を開く、これはしたりと迯んとすれども追かけられ、是非なく垣根に引添ふて行方を見けるに、車のきしる音毎に、火活々と燃へあがり、彼出家の泣喚その声身にしみ、あつと云けるが、其跡さらに覚へずと語りけると也。

「二郡見聞私記」より
(末広町開町70年記念誌編集委員会〔編〕『末広町開町70周年記念誌 おらほの沿革』に掲載)
最終更新日: 2017年03月21日
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