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2013年8月26日 の記録
佐藤 正志さん【新堀地区】
投稿者:早川峻介
カテゴリー: 土地の人に聞け
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昭和21年生まれ。私財を投じて音響機材を購入し、昭和57年から石鳥谷・戸塚森での野外コンサートを企画。夏に年1回、合計10回開催した。高校生による楽団「ワゲスターズ」結成にも尽力し、世話役を務めた。


大空への憧れ

 最初、私はハンググライダーをやろうと思っていました。よくテレビの天気予報のバックにハングライダーが飛んでいるの、ありますよね。あれを見て、やりたいなあと思った。それで探したら、意外と近くに(愛好者が)いる。花巻の湯口の人が当時、岩手県の会長さんをやっていた。いろいろ話を聞いて。

 (石鳥谷町の)戸塚森を基地にして岩手県の(ハングライダー)予選を3回開催されていたんですよ。そこで「私もハングライダーをやるぞ!」と思って、へそくっていた(お金を貯めていた)。


ハングライダー購入を断念

 (ハングライダー県予選)3回目の開催とき、着陸地点の電話の電柱に正面衝突した選手がありまして、それから家族の猛反対があって断念しました。私はまだ道具も買っていなかった。家族の同意を得て買うつもりでいたら、その事故が起きてしまった。

 当時のハングライダーというのは、国産がなかったんですよ。われわれの体重に耐えられるものは輸入品。壊したりすると修理に時間がかかるので、二つ買おうというくらい、へそくっていたんです。あの当時、1台100万円、2台で200万円。


電気工事で稼いだ資金で音響機材を購入
 
 じゃあ、音を出すのならいいかということで、その金を元手に音響機材をとりあえず音が出るくらい揃えたんです。

その当時、私は電気工事の仕事をしていました。ホテル花巻が最初の現場で、そしてホテル紅葉館をやってという感じです。稼いだ金をハングライダーに。ロマンですよ。人間が翼を持って空を飛ぶって。あの頃は景気もよかったし、仕事すれば、なんぼでも金を稼げる時期だった。面白かったですよ。仕事も遊びも。

 (ハングライダーの資金で)買ったのは、ヤマハのミキサーと54キロもあるヤマハのスピーカー4個、あとマイク、マイクスタンド、ケーブル、とりあえず音が出るくらい。100万、200万すぐでした(笑)。当時は高かった。今、1万円するマイクが、当時は7万5000円くらいしたんですよ。機材につぎ込んだ経費はトータルすると、1千万は超えてると思いますよ。


最初は公民館噴水前でレコードコンサート

 当時は、(石鳥谷町)中央公民館の前に噴水があった。あの噴水のところで、レコードコンサートをやったんです。そしたら石鳥谷中学校から、(うるさくて)「白ゆりテスト(模試)の邪魔になる」っていう電話がありました。それじゃ、山に行こうということで、こっち(戸塚森)に来ることを考えたときに、「せっかく山に行くのに、レコードではないだろう。生でやろう」という話になって。第1回目は、この広場の向こう側に仮設ステージをつくったのが始りですね。


第1回サマーコンサートを開催

 昭和58年7月24日(日)、第1回目のバンド演奏が、ここで始まりました。最初は6団体。なにしろ、誰がどんなことをやっているかをよく分らないでやったもんで、とりあえず、目に付いたやつを誘って始まったんです。

 (ポスターを持ちながら)これが第1回サマーコンサート〔画像2枚目〕。1回目は後援などなかったんです。コンサートの名前は仲間内で飲みながら相談して、「夏にやるからサマーコンサートだな。頭にビッグをつけよう!」というような感じで。

 2回目から放送各社の後援をもらおうということで。実績がなくてもらいにくいと、2回目からもらった。日程は、最初は8月に入るとお盆行事が各地で盆踊りがあったりして、7月の末にやろうということでやったんです。とりあえず本番中は雨はもったんですが、片付けをしている間に雨が。これはヤバイということで、じゃあ、やっぱり8月の梅雨明けからお盆前ということで、日にちを決めました。第1回が7月24日で、2回目からは8月19日。


増え続ける出演希望に制限

 出演者が、どんどん増えて制限しました。どうしても時間内に終われなくなってしまう。1バンドあたりの時間を短くした。入れ替えの回数がすごく多くなるので。だいたい15団体前後でやろうとしてたんですよ。そうすると、おおむね夜の9時には終わる。

 出演者は地元のアマチュアバンド。(花巻市と)合併前なので石鳥谷町内から。その頃、仲間でやっている連中が6団体あったもんで、やるべとなって。次の年から今度は、「俺も、俺も」と増えたんで、これはヤバイなと。

 町内の人が1人でもメンバーの中に入っていれば、参加を認めると、いくらか制限したんです。そしたら、みんな頭が良くて、急きょマネージャーを石鳥谷の人にした団体もあった。途中からはデモテープ審査もしたつもり。要はバンド数を抑えようと。参加バンドで1番遠いのは、宮古っていうのもあったね。あとは盛岡、水沢、紫波、花巻、東和、大迫。今、(花巻)温泉を中心に歌っている羽山るみ子、彼女もバンドのメンバーだったんですよ。ボーカルだった。


雨で中止が2回

 照明から音響まで全部自分たちでやりました。業者を頼まないで。会費は、スタッフは3000円、出演者は一人当たり大人は2000円、学生は1500円。ポスターなんかは前もって作るもんで、私らスタッフの出したお金で作っていましたね。一発勝負なので、雨で流れた場合、いただいたお金は返す。前もってつくった資料代などはうちらの金で。集金した金は、バンドのメンバーに全部お返し。来年に向かって、「また、やろうなあ」という感じ。

 ところが、神様はうまくやってくれないんですよ。実は、この次の年も雨だったんです。平成4年8月9日。この日は朝から雨でね。2年連続できなかった。ステージは雨ざらしになった。前もって作るもんですから。そのあと、現在の屋根のあるステージができたんです。


松山千春とバッティングしたことも~最後のコンサート

 平成5年、6年とこのステージでやって、目標の10回のコンサート。この目標の10回というのは、10年も経てば時代も変わるし、みんな年とってくるから、さらに続けるかは、その10年終わったら考えようということで、とりあえず10回。

 実施したのが10回、雨で流れたのが2回。12年やりましたね。7回目の平成元年のとき、花巻の野球場に松山千春が来た。出演している連中の一部が、前座で行くから参加できない。まったく同じ日の同じ時間帯で。そんなことがありましたね。

これが最後ときの写真〔画像3枚目〕。終わりは夜9時まで。ところが2年休んだものだから、参加者が極度に減って、内輪といつも集まってくれる歴代のバンドの連中だけみたいになりましたね。


幻の戸塚森ハングライダー基地構想

 戸塚森さハングライダーの基地も作ろうという構想も考えていたんです。ところが使えなくなった。東北新幹線が通ったために。着陸するのにあれ(架線)を飛び越えなくてはならない。そうすると数万ボルトでしょう。とてもじゃないけど、危険が大きい。

 夏のシーズンは、山から花巻温泉近くの団地造成地に降りる、冬のシーズンは、戸塚森でやる、風の向きが反対になるから。それを始めようと思ったら、新幹線の計画が出て。そしたら、(ハングライダー基地は東磐井の)室根にとられちゃった。アイデア的には、こっちが早かったんだけど。


イベント協力、そして「ワゲスターズ」結成

 (石鳥谷町民劇場などイベントへの協力を)並行してやっていました。コンサートの裏方(スタッフ)が、ほぼ町民劇場の裏方だった。照明もいじれるし、音響もいじれる。でも、コンサートをやらなくなってからは、仲間たちが仕事で忙しくなり、誰も引き継ぐ人がいなくなった。

 それで、今度は高校生から育てようと、「ワゲスターズ」を考えた(昭和60年11月結成)。高校生であれば誰でもいいよと。楽器でも裏方でもいいということで、福祉施設への移動公演を15年くらいやりましたね。演奏、裏方、チラシ作り、全部高校生。われわれは車の運転昼食の調達、打ち合わせとか。

 あの頃の高校生は、今どうなったんだろう。花農(花巻農業高校)と黒工(黒沢尻工業高校の生徒)が多かったね。メンバーが「50人になったら、バスを買ってやるからよ」と言ったけど、50人規模にはならなかった。

 毎年、行ったことのない施設にも1カ所ずつ行こうと。毎年行くのは町内の好地荘(救護施設)、ルンビニー苑(障がい者支援施設)、あと1カ所は行ったことのないところへ。

 演奏はブラスバンドですね。ジャズっぽいのを取り入れたり、民謡を入れてみたり。どうしても年代が違うから、歌謡曲、アニメ、演歌とか、だいたい2時間。 今、そのときの高校生たちと、Facebookで会っています。


若い世代に言いたいこと

 音楽はガス抜きすることができる。何か夢中になってやったら、イジメとかなんかも(減るのではないか)…。ギターを弾く奴は不良だと言われた時代もあった。何でもダメっていうのは…。条件を整えてやればいいんじゃないかな。やってほしいね。



【取材担当】鹿川、高橋、伊藤
最終更新日: 2017年07月01日
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