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2013年6月28日 の記録
小澤 良輔さん・シヅさん【松園地区】
投稿者:早川峻介
カテゴリー: 土地の人に聞け
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小澤良輔さん 大正10年生まれ
小澤シヅさん 昭和2年生まれ

小澤良輔さんは東京神田の生まれ。弘前第八師団から師団通信隊として中国へ。そこで終戦を迎えました。戦後は警察官として花巻警察署に勤務。近くの洋服店で働いていたシヅさんと知り合い、結婚しました。



賢治の初版本をもらったが…


聞き手
 初版本をもらったと聞きましたが。

良輔さん
 言っちゃ、あれだけども、正直にいえば、宮沢賢治なんて聞いたこともなかった。

シヅさん
 一関にいたときは、(賢治について)全然分からなかったんじゃないですか。やはり南部藩と伊達藩だから。花巻に来て、職業がら訪問してから(知った)。

良輔さん
 宮沢賢治さんから直接もらったわけでないけど。持ってきてくれた人は、私も知らなかったし。転々と歩いたから、(本は)どこさやったか失くしてしまった。童話ですよ。今、考えればね、惜しかったなと思って。



なれそめ


シヅさん
(良輔さんが花巻に)初めて来たのは、終戦後だからね。兵隊に行って帰って来てから。今は桜町というのかな。あそこに警察の寮があったんですよ。昔、警察署は末広町の昔の煎餅屋さんのところにあったんですもんね。近くに橋本さんという洋服つくる店があって、私はそこに勤めていて、(良輔さんを)なんとなく真面目そうな人だと思って。これも縁だったんだ。恋愛つのでないれど、働いていた人が世話してくれた。川口旅館で結婚式したったよ。花巻温泉に一晩泊まってきたよ。電車だった。

良輔さん
 警察の新しい服が流行り始まって、ネクタイ締めたりね。誰もネクタイを締めたこと、なかったんだもの。

シヅさん
(良輔さんは)きれいな言葉を使っていた。言葉にほれたわけでない。真面目な人だなと思って。

良輔さん
 そのあたりは、まだ標準語でした。

シヅさん
 きれいな言葉だった。別に美男子なわけでない。ただね、真面目だなと。あのあたり(あの頃)、警察官と一緒になった人が多い。私の友達も。なんとなく、そういう時代でなかったのかな。結婚したとき、私は20歳。(年齢は)五つか六つ違うね。



良輔さんは神田の生まれ


良輔さん
 (私の生まれは)東京の神田の南神保町という所。江戸っ子なんです。大正12年の関東大震災で丸焼けになったのね。あとは、どうなったか分からなかったけども……。一番大きい姉が生きていたったから。私が2、3歳だな。あのあたりまで、神田にいたったんだね。

シヅさん
 うちのお父さん(良輔さん)は一番大きな兄さん。次の兄貴と弟がいて、弟は東京に住んでいるけど、あとはみんな亡くなった。



花巻の言葉が分からず


良輔さん
 日本語だから、まあまあ話になるんだけれど、(花巻の田舎は)百姓言葉で、警察官だからって、何をしゃべっているか分からないよ。

シヅさん
 東京から来たから、言葉が分からなかったようだよ。昔、(方言は)もっと汚かったんだよ。農家に行くと、余計に分からなかったようだよ。

聞き手
 方言で苦労しましたか?

良輔さん
 いやいや、全然。仕事といったって、早く管内の名前覚えることが仕事だったんですよね。



水害のこと


シヅさん
 今の岩銀さんから向こうのほう。豊沢町、あそこら辺は水害だったよ。あそこは凄かったの。あそこ川流れているえ?豊沢川か?何度か浸水したのでなかったかな。菊池捍さんの辺りは、なんでもなかったんでないかな。上町から今の岩銀さんから、川のあそこら辺のところで。そして上町と豊沢町、こっちさ行けば桜町でしょう。ここ右に曲がっていけば…私の友だちの滝田さんがいる、そこら辺が大変だったでないすか。あとはそんなにひどいという感じではなかったんじゃないかな。



映画館とお祭りのこと


シヅさん
 朝日座ってあったったね。昔。 豊沢町の裏っ側に。あと東宝、花巻座でしょう。私らは新道。こっちの人間だから、川口を私らは「かぐち、かぐち」と言っていた。かぐち祭り(今の花巻まつり)に行くべと。今は一緒だけれども、昔は一日市と上町と全然お祭りが違ったんですよ。

良輔さん
 「あっち町」と「こっち町」という言葉もあったったからね。

シヅさん
 私は新道の方、今の坂本町の方だから、こっち町のお祭り。あっちはあっちの祭り。うちの姉なんか、着物をどこからか借りて、ここさなんだかをかぶって、(写真に)写っていた。忙しがったね。
 青年と少年とか、私らは少女なんだけれどね、屋台コ出してね。徳富(歯科)さんら辺さ、ちょこっと部落でお菓子だとか売った記憶あるや。

聞き手
 お祭りの警備もされましたか?

シヅさん
 四日町の駐在所さ来てからも、お祭りがあったったからね。昔は四日町とこっちのお祭りが違った。四日町は四日町で。今はなくなったけれど、四日町の駐在所にいたったからね。本署からも手伝いに来た。整理にね。



シヅさんの父親は草履職人

シヅさん
 うちの父親はは草履(職人)。(店は)草履屋って(呼ばれていた)。ちゃんとした表が畳みたいなあれでね、裏さ三つに編んだような細いのがある。それをずっと縫っていくの、手で。父親は小さい人だったんですよ。母親もそうだったから、うちの姉も私も小さいけれどね。昔。どこだったか忘れたけど、炭鉱に行って足をケガして。ここにこれくらい傷があるんだっけおや。稼がれなくなったから、それでこっちさ来て、草履を縫うのを教えられて、そして草履屋やったったね。私の旧姓は高橋。

聞き手
 何草履屋さんと言ったんですか?

シヅさん
 何草履屋というより、「草履屋、草履屋」と言ったね。別に高橋でなくて。自分の家でつくって、売っていたの。草履の台がどこからか来たんだっけ。父親は足を悪くしたからって、草履をつくって売って。昔はうんとよく雪が降ったから、こんな大きなひくソリ、あれさつけて、鉛まで歩くんだっけよ。往復。だから朝早く出て、夜暗くなってから帰ってくる。昔の人はそうやって稼いだんだね。それで、なかなか金持ちにもなれない。でもね、どうにか食うだけは、食ったんだべけどね。



瑞興寺の「十夜」


シヅさん
 向かいの瑞興寺さ「十夜」てあったでしょう。檀家とお寺の和尚さんが集まるんですよ。(それを)「十夜」と言うんですよ。うちのおふくろと父親は手伝いに行くの。和尚さんたちに、ご飯食べさせるために。そういうこと、やっていたったね。

良輔さん
 米がわずかしか配給にならなかったからね。どこに行っても、署長以下腹を空かしていた気がするね。(給料は)あの辺りの物価から見ればね、普通だったども、安かった。入りがけだから。



花巻に師団通信隊出身者がいた


良輔さん
 私は師団通信隊だからね。花巻から師団通信隊さ来た人が割合に多かったんですよ。偶然(花巻)に来たらば(着任したら、戦時中に)、同じ師団通信隊にいた人が10人くらいいたよ。……私は部隊長でもなんでもなかったけれど、偶然に四日町の駐在所に勤務したら、覚えていた人がこっちの方にいたんだね。

 私が弘前師団で1カ月病気してね。みんな3カ月訓練したら北支にやられた。退院したら、一緒にいた人みんないなくなってね。みんな北支に行ったから。軍隊に4年くらいいたうちに、弘前にいたのが、割合に多かった。これだけ小さな町で、関係のない人だと思っていたら、今でも頭に残っているのが5人くらいいるな。死んだけどね。



弘前から北支転戦、そして終戦

良輔さん
 弘前(第八師団)にいててね、馬を扱ったことなくて、笑われたったけれどね。子馬も、おっかながっている(怖がっている)なんて陰口を言われてね。馬に触ったこともなかったけど、そこにいてて馬屋当番なんてね。それでいるうちに覚えてね。朝夕馬の訓練あって。裸馬に乗って走り回ったこともありますよ。よく馬(に乗ることを)覚えたなと思ってね。冒険が好きなほうだったから。

聞き手
 終戦はどこで知ったんですか

良輔さん
 戦争が終わったって、急に「退却だ」なんて言わないだもんね、軍隊では「転進だ」。今天皇陛下の話聞くからって…8月15日にね、武昌にいたったかな。揚子江は覚えているけどね。揚子江を渡って……うーん。それから一生懸命歩いて行ったんだな。揚子江は大河ですから。そこを船で渡って、向こう岸に行って、そこに一週間ぐらい滞在したね。

シヅさん
 いらね戦争したおね。私らおなごだからよかったものの…。私ら終戦の2日後に埼玉から帰って来たよ。

聞き手
 よく帰って来れましたね。

良輔さん
 よかったですね。それでも師団通信隊だから、わりあいには死ななかったね。わが部隊は。

シヅさん
 ダダダダっつのには(戦闘には)、行かなかったから、いがった(よかった)のでないですか。

良輔さん
 や、行ったのさ…。揚子江を渡って南の方に行って、渡ったところで1週間ばかり準備して。そのときだな。看護婦たち2、3人連れて行かれた。中国へ。あとどうなったか。そこから歩いて歩いて南の方に行って。



シヅさんの終戦と花巻への帰郷


シヅさん
 歩いたね。私らも男でないから兵隊さ行かないけど、朝霞にいて秩父に行って、またさらに奥秩父から川越まで歩いたからね。そしてから上野に出て、汽車に乗って帰って来た。内地にいた兵隊さんがいっぱい乗っていたった。だからトイレに行かれないから窓からこう。汽車が何分か停まるから、みんなの前さ、お尻向けて、そしてジャーッとおしっこして。やれやれ、出終わったなというあたりにピーと鳴って、ズボンを上げる暇なくて、こうやって走って、中さ入って上げた記憶あるね。当たり前みたいなようなものだった。トイレに行かれなかった。座っている人は腰掛けて、立っている人は、ぎちっと立っているから。…そういう感じだ。私ら女だから兵隊さ行かないからね。結構いろいろ仕事しましたね。私は縫い物だからね。懐かしいね。

聞き手
 シヅさんが帰って来たのは花巻ですか?

シヅさん
 あの辺り花巻の駅に汽車が停まらなかったからね。私らは北上(当時は黒沢尻駅)。北上に降りたったね。(急行が)花巻に停まらなかった。北上に降りて鈍行に乗って帰って来た記憶あるね。花巻の駅さ来て歩いていったっけ、腹が出ていた母親がべろーっと痩せて。

 朝霞に来た時面会に来て、部屋の人たちと食べるように花巻のキリセンショをつくって来てくれた。そいでも2人友達近所にいたった。一緒にみんなで来て、キリセンショをみんなで食べた記憶あるね。



【取材担当】柴田、伊藤
最終更新日: 2017年10月14日
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