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2013年6月27日 の記録
フランコ・マウリッリさん【新堀地区】
投稿者:早川峻介
カテゴリー: 土地の人に聞け
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ローマで奥様と知り合ったことをきっかけに日本へ。武蔵野音楽大学でイタリア語を教え、1971年に日本に帰化。日本名は細川正直。家族と芸術と石鳥谷をこよなく愛する。



出身地と兄弟

 出身はイタリアのローマ。兄弟は3人でした。わたし、真ん中。上は1人。二つ年上ね。弟はもう亡くなった。今はわたしと兄だけね。(兄は)同じ大学の仕事でした。特別の契約があった大学でね。私、60歳で終わりました(退職しました)。彼はイタリアで65歳まで(勤務した)。弟は39歳で亡くなった。

 兵隊(兵役)のとき、あちこち行ったよ。(イタリアでは)一番年上の人(長男)だけ兵隊をやるかやらないか決める。彼(兄)は、やりたくなかったね。(そのために)私は彼の分までやった。だから私は(兵役)3年間。弟は1年間。わたし泳ぎできた。免許を取って、(ライフセーバーの訓練で)泳ぐことできたね。



イタリアの兵役は義務だった

(兵役は)やりたかったら18歳からもできるよ。普通は21歳。でも、もう(イタリアの)法律が変わったね。わたし(が兵役を)やったときは、法律でしなければならなかった。だから、お金ぜんぜんもらってないね。ただ1日にタバコ6本、マッチも6本。それだけ。毎週1週間の分、タバコとマッチね。わたし吸わなかった。だから友だちに売って。



兵役に行く前は大学生

 仕事しながら勉強しに(大学へ)行った。私は文学と音楽史専攻した。音楽史終わったあとは美術史やった。全部自分の金で勉強した。わたし日本来てから、(日本の)大学でイタリア語を教えるため、免許が必要になった。だから、またイタリアに戻って、大学で試験受けて免許もらった。



日本語はどこで習った?

 小田急線の中で(笑)。本当、本当。私の仕事は、ずっとイタリア語だけ使わなければならない。日本語絶対許さない。日本語を使ったらクビになる。音楽大学だから。音楽大学(で学ぶ学生は)90%オペラを勉強する人ね。ほとんど女性たち。だからイタリア語必要になる。学生たちは分からなくても、わたしイタリア語で言わなければならない。発音のため。

 家から大学まで(通勤時間は)2時間40分でした。昔ね。だから、西武線、山手線、小田急線、あとバスで40分ね。だから電車の中で。



母音の発音が違う

 例えば、日本人は「ウ」ができない。日本語のアイウエオ。「イ」のポジションから「ウ」。だからおかしい。イタリアは「オ」が二つある。大きな「オ」と狭い「オ」。イタリア人は「オ」から「ウ」になる。「オ」のポジションから、もっと狭くして「ウ」になる。イタリアは、アエイオウ。日本人かわいそう。だから「ウ」、すごくおかしいよ。なかなか直らないよ。

 日本人、イタリア語に直すとき、カタカナで直す。全然違うくなるよ。音楽に合わない。すごくおかしいよ。オペラ勉強する人が一番大事なことはイタリア語。



日本人の奥さんとの出会い

 彼女(奥さん)は高校卒業して、武蔵野音大で学んで先生になって、イタリア・ローマの音楽学校に勉強しに行った。彼女の先生、家の隣でした。毎週2、3回日本人いつも私の窓の前通ってる。かわいこちゃんがいつも通ってたから、だんだん。窓から[口笛〜♪]。イタリアのやり方ね。彼女の音楽学校の発表会に行って、立派なクチナシ持っていってあげた。

 (結婚は)みんな反対でしたね。私のママも、もちろん彼女のママとパパも絶対ダメね。(このことが)分かったとき、(彼女の親が)すぐイタリアに来て、彼女を日本に(連れて帰った)。でも仕方ない。だから、わたしが日本に来た。



「カーサミア」

 今の石鳥谷の新しいお葬式のところ(葬祭場)、あそこはわたしのお店でした。おじいちゃんがわたしのため、あの店を建てた。わたし、あのお店のおかげで、わたしの名前で書類出して、国籍も取れた。日本の国籍を取るために、何を持っているか、お金がどれくらいあるか…おじいちゃんがあの店やった。

 (大学勤務の後の)仕事はインテリアでした。(店の名前は)「casa mia(カーサミア)」。「casa mia」はイタリア語。「私の家」。ちょうどあの時、西武デパートの仕事やって。西武もレストランのチェーン作った。レストラン名全部、カーサ。私いろんなことやっている。(日本に来て)もう42年。1971年(昭和46)に来たから。ここに来たのは4年前よ。その前はずっと東京。でもまだ東京に家あるよ。



石鳥谷のいいところ

 ここ(今住んでいる所)が一番いい。動物いっぱい出る。タヌキとキツネとテン。テンはすごくきれい。冬真っ白。あと去年すごく珍しいもの見た。カワウソ。びっくりしたよ。動物いつも歯上から下ね、カワウソ下から歯!大きかったよ!怖い!1回だけ見た。タヌキに似てる。でも尻尾が違う。

 きれいな緑。毎日違う色よ。(景色は)冬が一番きれい。白黒。(冬は)下まで道作る。わたしが歩く分だけ。



わたしにとっての農業と食べ物

 自分で食べる野菜を作ってる。あと山にいろんなものがある。フキ、栗。あとは春はいろんな山菜。タラノメ、コシアブラ。だからキクコーで肉と魚だけ(買う)。あとワインね。

 今までわたし、ここでヤギ飼っていた。オスとメス飼って、もう増えて増えて…。1年に2回産む。しばらくオスばかり生まれたね。だから食べちゃったり。だから肉も必要なかった。去年もメス3匹になった。

 2、3日前トラクター買った。畑はここね。今。あっち作りたい畑ある。これからトラクターくる。何かやる。
 草すごいよ!毎日(草刈りを)しなければいけない。あっち終わって、またこっち刈るよ。毎朝1時間か1時間半くらいやる。

 (今後は)チーズ作りたい。すごく美味しいチーズできる。(こういう生活を)死ぬまでしたい。ここで死にたい。一人で死にたい。仲間はときどき。ずーっと一緒はダメ。



一番美味しいと思った食べ物−熊汁

 毎年1回か2回、熊汁やる。すごく美味しいの。信じられない。いろんな野菜入れて。やっぱりプロの人が熊の肉(の料理を)やるからね。プロの人しなかったら美味しくないみたい。この下に産直ある。そこでやっている。美味しいよ。本当に美味しいよ。やっぱりここの人たちだけ食べるね。ほかのお客さんあんまり。「熊」と言うと、あんまり食べたくないみたい。



【取材担当】鹿川、伊藤
(石鳥谷の高橋さんにも取材にご協力いただきました)
最終更新日: 2018年04月08日
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