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家老席日誌-延享2.9~
投稿者:ふるさと 管理1
カテゴリー: 花巻城家老席日誌
【延享2年・1745】藩主在府、参勤、家老:漆戸主膳茂親。毛馬内三左衛門景次・
         南彦八郎晴昌・葛巻覚右衛門祐冑

9/8 改名:花巻御給人三田源右衛門→茂左衛門
9/25 花巻与力斎藤久助、老衰のため、倅覚十郎を番代とする願い認可、郡代へ書状。
9/25 太田長左衛門、湿瘡煩い台へ入湯のため往来2廻の暇
10/3 毛馬内蔵人、湿瘡煩い台へ1廻の湯治暇。領分中宗旨改人数目録:稗貫郡25,922人、
    花巻町4,894人、
11/22 太田左太夫、打身のため台へ2廻の湯治暇
11/24 殿様参勤時節、来年4月中となる。
11/27 二子万丁目通南下根子村百姓長四郎(34歳)、女房28歳、男子太郎四郎、
    15日より行方不明、代官より花巻郡代へ訴出、
12/4 二子万丁目通村崎野村百姓理平次手廻し6人、25日夜行方不明、代官から郡代へ申し出、
    目付まで訴え
12/6 鬼柳黒沢尻通藤沢村百姓作之丞手廻し6人、先月23日行方不明、代官末書で郡代まで訴
    え、郡代より目付まで訴え
12/7 毛馬内三左衛門、病気により御加判役依願辞任、郡代や代官へ書状を遣わす。花巻同心
     門之丞43歳、女房30歳、男子千松13歳、2日夜欠落、郡代より目付まで訴え。
12/12 来春御供登りの面付:於愛様番人に花巻御給人新渡戸甚内、郡代へ書状。
12/13 花巻御給人四戸与一右衛門、中風煩い、倅八十七を番代とする、郡代へ書状。
12/14 松田六左衛門、病気により花巻町奉行を依願辞任、目付へ申渡す→12/20後任に
    平原久左衛門
12/15 公儀代替わりで格別目出度い時節として、花巻御給人昆多次郎の親喜右衛門、藤根伝兵衛
     弟の五郎右衛門、勘気を免じられる。
12/20 花巻八幡寺末寺の成嶋寺、老衰のため隠居、後住に八幡寺弟子の長谷寺とする。
12/25 黒沢尻代官所町分与四郎、裁許片付け仰せ出、所にて死罪仰付、懸合の者共片付け役人
     より申し遣わす旨、花巻郡代へ書状。与四郎27日検使の役人申付け、仕置申付けの旨
     郡代より訴え。
閏12/8 改名:花巻御給人堀内太郎左衛門→定右衛門、蛇口新平→六郎左衛門、
    梅本市之助→佐四右衛門、五日市覚之丞→伝右衛門、簡左門→作太夫(簡権左衛門嫡子)、
     花巻御役医小野寺立清嫡子の立円→立民、
閏12/10 改名:花巻御給人田頭伝六→清大夫、小川文次郎→文五右衛門
閏12/16 花巻植木奉行大関三郎、先達て花巻通海道筋並木の松植え替え間違いを申し出、
      植付け時節不相応、伺わずに植替えたこと、不念の致し方と思召し、今御心得ろ
      との仰出、郡代沢田助三郎へ申渡す。花巻御給人伊藤武左衛門眩暈の症煩い、番代
      に倅新助を願い出、願いの通り仰せ出、郡代へ書状。
閏12/26 八幡寺林通瀬川村の御鉄砲師七郎兵衛、鉄砲細工伝授、御用筒張立差上げ、鉄砲師
      仰付、一生の内2人扶持下す、目付から代官へ申渡すよう、郡代へ申し遣わす



【延享3年・1746】家老漆戸主膳茂親・奥瀬内記定則・南彦八郎晴昌

1/2 年頭御礼:花巻御給人100石以上鳥目差上げ
1/12 所々代官役替え:大迫通代官松尾太郎左衛門→高杉金左衛門、
    二子万丁目通代官永井喜左衛門→哥書茂内、御蔵奉行:花巻新御蔵奉行菊池勘太夫→
    佐藤長作、大迫蔵奉行米内丹治→厨川市郎右衛門、黒沢尻御蔵艜奉行沖五郎四郎→
    菊池勘太夫
1/15 川井運助と平沢文助、湿瘡煩い台へ1廻の湯治暇
1/24 黒沢尻の染黒寺2を日夜中全焼
1/26 花巻役替え:海道御奉行植木御用兼帯大関清三郎→伊藤左内、
    西根御山奉行伊藤左内→雫石弥平太、御道具奉行雫石弥平太→岩間五平次、
    御囲穀御蔵奉行岩間五平次→三田伝次郎、右の通り花巻に於いて役替え申付け候由、
    御郡代下斗米小四郎より申し来る。安俵高木通代官高橋要右衛門と工藤文太夫、二子
    万丁目通代官永井喜左衛門と田鍍嘉太夫、年貢并に諸役金銭出精取立皆済など、
    御褒美仰出
1/28 田中八左衛門、湿瘡煩い台へ1廻の湯治暇。享保18年花巻御給人・御与力、新田願い
    上げ披立、清検地願い出の面付12人、花巻郡代より申し来、披露を遂げ、願いの通り
    仰出。→2/5伊藤虎五郎らの清検地願い、仰付



【延享3年・1746】家老漆戸主膳茂親・奥瀬内記定則・南彦八郎晴昌

1/29 高木安俵通代官高橋要右衛門→金田一久右衛門。花巻御給人太田五郎左衛門、病気の
    ため倅嘉八郎を番代としたい旨願いの通り仰付、郡代へ書状で申し遣わす。
2/5 跡式:花巻御与力煤孫惣助→子の長之助、11石110、郡代へ書状。
2/11 花巻御給人煤孫長之助の清検地願い認可
2/14 中野儀左衛門、湿痰煩い台への往来16日暇
2/16 鳥見土川仁和右衛門、膝節痛み強く台への湯治、往来9日の暇
2/25 前年冬江戸に送った御判物、15日江戸出立し道中12日振りで金ヶ崎到着、鬼柳検断へ
    知らせ、鬼柳番人と代官より花巻郡代へ訴え、郡代から目付へ申し来る。斗かきに
    ついて仰出
3/6 花巻瀬川村の鉄砲師七郎兵衛へ手当
3/10 中原五十七、1月中旬より痛風煩い台への2廻の湯治暇
3/23 殿様参勤26日発駕、花巻と鬼柳仮屋掃除、道橋人馬足入り等なきよう、役人共へ申渡
    すべき旨、花巻郡代へ申し遣わす
3/26 殿様辰下刻盛岡発駕、郡山仮屋午刻入り→3/27殿様26日申上刻着
4/3 奥村文平、持病の痛みあり台へ2廻の湯治暇
4/18 安俵高木通代官、14日黒岩村船渡し場で突風のため舟沈没し死者あり、郡代を経て
    目付へ訴え。
5/14 若殿盛岡着、祝儀のため花巻詰合御用は花巻で御肴1折差し上げ(下斗米小四郎・高野
    左兵衛)
5/27 花巻御給人簡伝十郎、父の作右衛門が元文3年より披き立てた湯口村・栃内村、山口村
    での知行新田の清検地願い、認可。
6/3 立花金左衛門、病気のため八幡寺林通代官辞任を願い出るが、養生につとめ勤務を
    仰出→8/18立花金左衛門の依願辞任を認可
7/9 巡査見の山口勘兵衛ら、8日朝花巻出立
7/15 二番鮭1尺かの、花巻立花留で取り上げ、同高瀬留で三番かの1尺を取り上げ。
7/15 若殿お忍びで三閉伊へ出立
7/28 花巻御給人工藤武源太妻と同三田六之進娘、縁組み
8/3 菊池三郎兵衛、病気のため黒沢尻代官を依願辞任
8/4 跡式:花巻御給人小山田和七郎→婿の左平太(実は奥寺孫兵衛次男で和七郎の妹婿と
    なる)、5駄2人扶持、郡代へ書状で申遣
8/10 名改め:花巻御給人佐藤十之丞→権太左衛門、組付御免鳥見の田中弥五郎→七郎
    右衛門、御給人瀬川茂伝次→儀右衛門
8/19 御境駒ケ嶽観音堂建替え、6日より取付け16日済み、古人頭申出、花巻郡代より申し
    来る。棟札の写しに導師一明院法印秀尊、馬峯寺別当善行坊、大工大井庄右衛門宗台、
    小工宮沢長次郎清治、封鍛冶瀬川七兵衛正道封
8/21 鬼柳黒沢尻通代官に工藤文太夫、八幡寺林通代官に台十郎兵衛、当分の間仰付
8/25 安俵高木通代官工藤文太夫→佐藤善兵衛、当分の間
8/晦 恩流寺、病気養生のため台へ入湯、往来10日の暇
9/3 黒沢尻御蔵艜奉行台十郎兵衛→玉内清三郎
9/4 小栗甚助、持病の痔煩い、台への湯治2廻の暇
9/5 出生の若子、三郎様と命名、花巻郡代在々へ書状を遣わす
9/6 若殿来年頭より規式、大殿同様新丸にて請ける
9/7 倹約の仰出、江戸より届き、花巻郡代在々へ目付より書状を遣わす
9/8 花巻御給人中舘宇右衛門弟の治兵衛(39歳)、浪人で妻子あり、暮れより別家し、
    先月18日より行方不明、宇右衛門は境番所に勤務し縁者尋ねるが不明、花巻郡代より
    目付まで訴え。
9/9 遠山宇右衛門、痔痰煩い、台へ湯治2廻の暇。松前若狭守当月中旬在所出帆につき、
    野辺地より花巻迄の通筋、宿と道橋掃除、郡代・代官へ書状
9/23 領分中宗旨改人数目録:稗貫郡25,422人、花巻町4,890人
10/13 松前若狭守参勤のため盛岡着
10/14 名改め、花巻詰合の御用人沢田宇右衛門へ一里を以て申遣す
10/20 上田権六、持病の打身差発し養生のため台へ2廻の湯治暇



【延享3年・1746】家老漆戸主膳茂親・奥瀬内記定則・南彦八郎晴昌

10/21 黒沢尻代官所滑田村水呑百姓三之丞、18日自火にて家焼失、代官末書で申出、郡代目付へ
    訴え。巡見通り前後の対応ぶり、花巻詰合の用人沢田宇右衛門、花巻町奉行・取次、
    与力などへ褒美の言葉
10/22 名改め:花巻御杞憂人小野寺山三郎→六兵衛、神山儀三郎→忠左衛門、
    門屋三郎兵衛(十兵衛の子)→伝助、佐々木末三郎(平蔵の子)→権之丞、鹿討伊兵衛、
    大関徳三郎→源五右衛門、伊東宇三郎(左内の子)→右内、戸田喜三郎(喜左衛門の子)→
    忠兵衛、佐々木新三郎→新助。二子万丁目通轟木村勘三郎(55歳)、女房49歳ら18日より
    見えず欠落と代官訴え
10/26 沖十郎左衛門、湿瘡煩い花巻台へ1廻の湯治暇
10/28 花巻作事奉行佐藤善兵衛→沢田金七
10/29 八幡寺林通湯本村新田源次郎、25日晩自火にて家焼失、代官訴え
11/5 北万丁目村藤助妻子、14日より行方不明を代官訴え
11/17 若殿参府、3月中との書付江戸より届く
12/10 八幡寺林通代官照井多左衛門、11月より寒邪相当痰疝煩い、依願辞任→12/11後任に
     菊池六郎兵衛
12/16 八幡通田力村百姓作之丞妻子3日より見えず、二子通十二丁目村百姓嘉平次妻子20日より
     見えず、代官訴え。
12/19 来春江戸留守詰登の面付。若殿供登り面付
12/20 拝領の鷹の雁披露振舞いの飾り付け、小書院の床に探幽筆寿老人三幅対、付書院に唐筆
     鹿狩、養朴筆昇降の龍図双幅、
12/22 二子万丁目通刀差藤次郎、嫡子病死、嫡孫の文次郎を嫡子としたい旨願い認可、花巻郡代
     へ書状で申遣す
12/29 鬼柳黒沢尻通代官菊池六郎兵衛代り工藤文太夫、当分の間から直々本役。
     八幡寺林通代官立花金左衛門・照井多左衛門→台十郎兵衛・菊池六郎兵衛、
     当分の間から直々本役、安俵高木通代官工藤文太夫→佐藤善兵衛、直々本役となる。



【延享4年・1747】殿様在府、若殿在国、家老漆戸主膳茂親・奥瀬内記定則・南彦八郎晴昌

1/11 大迫代官野田八十右衛門→立花金左衛門
1/13 大迫代官高杉金左衛門、病気のため辞任を願い出るが、養生せよとして却下される。
    鬼柳黒沢尻通代官工藤文太夫・長坂次郎兵衛、安俵高木通代官金田一久右衛門・佐藤
    善兵衛、二子万丁目通代官哥書茂内・田鍍嘉太夫らへ前年の年貢諸役金銭などの取立
    皆済に付言葉の褒美
1/14 名改:花巻御給人松岡安次郎→軍左衛門、中村門次郎→門右衛門、昆多次郎→門左衛門、
    長坂虎次郎→十太夫(長坂治兵衛の子)、神山市次郎→源太郎(神山四郎右衛門の子)
1/18 二子万丁目通代官哥書茂内→浅石治左衛門、当分の間
1/29 黒沢尻代官所神子田六左衛門知行、左次右衛門子の八兵衛23歳、21日より見えず、参宮の
    心懸もありと代官訴え
2/2 殿様名改め:修利太夫→大膳太夫、領分中花巻郡代・諸代官へ書状で申し遣わす
2/6 花巻寺林村与左衛門居宅、3日焼失、人馬怪我なしと郡代より目付まで申し遣わす
2/21 二子通飯豊村百姓九郎左衛門家、8日夜出火し家財飯料土蔵残らず焼失、牛馬17疋焼死、
    怪我人なし、類焼は同村坂本条右衛門百姓久四郎家で人馬怪我なし、花巻郡代より
    目付へ訴
2/12 福島本陣安斉市郎右衛門名代、柿榧1箱・小杉50帖年始祝詞として若殿へ差上げ
2/23 松前若狭守下向のため盛岡本町に宿泊
3/10 和賀川洪水、若殿渡し船検分のため目付の佐藤甚之丞を派遣
3/11 若殿参府のため盛岡発駕→3/12若殿、11日花巻御仮屋に下着、12日和賀川渡し船、
    鬼柳仮屋昼→4/15若殿1日江戸城に登り参府の御礼申上げ
3/22 大迫中町鍛冶安兵衛家火元で20日夜88軒焼失、代官訴え
3/23 大迫通下宮守村小沢文六火元で類焼6軒焼失、人馬怪我なし、代官訴え
4/2 花巻本御蔵奉行高橋左太郎→女鹿勝兵衛
4/20 領内羽黒派改め御用の花蔵院、威徳院、修験光林坊、御用済み罷り登る
4/22 八幡寺林通糠塚村小菅武左衛門百姓源次郎(17歳)、29日より見えず欠落
4/20 殿様下向、21日江戸発駕、道中12日振り



【延享4年・1747】家老漆戸主膳茂親・奥瀬内記定則・南彦八郎晴昌

5/2 殿様盛岡下着。花巻勤番の御用人下斗米小四郎、殿様に御肴1折差上げ。
5/9 八幡寺林通沢里十兵衛知行、五大堂村長之丞家自火にて焼失、馬1匹焼死、代官訴え。
5/15 無調法のため身帯取上げの折居了探、花巻の折居嘉兵衛へ差し遣わす
5/17 漆戸主膳へ大老を申付。
6/9 名改め:花巻御給人太田五郎左衛門→五郎右衛門、鹿討伊兵衛→兵作、与力の三田伊兵衛→
    千兵衛。彦九郎様、11日大槌宮古へ外出。花巻鳥見の和田甚七(25歳)、28日役廻に
    外出し立帰らず行方不明と、親類の小野寺六兵衛・平沢伝右衛門・上野嘉藤治・伊藤左内、
    花巻郡代まで訴え。
6/13 高木通倉沢村百姓久蔵家、10日夜自火にて焼失、駄馬1疋焼死、代官より花巻郡代に
    訴え、郡代より訴書遣わす旨、目付申上げる
7/3 寺林通金矢村川上立林知行所百姓吉之介弟の清之助(37歳)、6月16日欠落との代官訴え
7/9 花巻鉄砲師辻村七郎兵衛へ、鉄砲毎年張立てを毎年めいじられているが、細工所大破し
    修繕のため屋根葺替えの柾を支給。金剛院、春日宮付き神職、2人扶持→7/10金剛院、
    名を小林右京進と改める
7/10 名改め:松岡弥惣治→兵右衛門
7/13 上田六郎右衛門、痛みあり台へ1廻の湯治暇。
7/23 跡式:花巻御給人伊藤庄五郎→子の幾松、2人扶持、郡代へ書状で申遣
7/26 花巻高松寺後住に長谷寺堯音宥雅となる
7/29 二子万丁目通代官浅石治左衛門、当分の間勤務から直々本役となる。高木船渡しで29日朝
    百姓男女大勢乗合せ、船沈没し上根子村善七下人三六と里川口村勘九郎馬栗毛駒1疋流れ
    死、花巻郡代より訴え。
8/4 簡幸右衛門、持病の打身差発し台へ1廻の湯治暇
8/6 佐藤多四郎、痛風煩い台へ1廻の湯治暇
8/13 塩川九郎右衛門と大里勇左衛門、痛みあり台へ2廻の湯治暇
8/28 信州善光寺如来巡行、盛岡法輪院でご開帳。
9/20 花巻郡代、6日花巻と仙台領境の草木刈払い済むと訴え。
10/4 八幡寺林通代官菊池六郎兵衛(病気)→似鳥隣
10/6 大工小頭和右衛門、三戸仮屋普請出精勤務、褒美代物1貫文下賜。
10/10 領分中宗旨改人数目録:花巻町4,780人
10/11 城弥三右衛門、痛みあり台へ2廻の湯治暇
11/13 境役と古人につき花巻郡代より書上げ
11/晦 鬼柳黒沢尻通後藤村百姓半右衛門(43歳)ら家族21日晩より行方不明、馬1疋残し欠落、
    代官から花巻郡代を経て訴え
12/7 花巻豊沢町髪結六右衛門と日用取武士右衛門、欠落し人相書の触れ
12/8 名改め:花巻御給人佐藤綱太郎→長右衛門、上野小太郎→十郎太(嘉藤次の子)。御柄
    巻師五郎兵衛と仕立師長右衛門、行跡宜しからずとして身帯家屋敷取上げ、追放の処分
12/12 二子万丁目通十二丁目村吉十郎(37歳)、27日女房打ち捨て欠落、郡代まで訴え。
12/18 花巻町奉行平原久左衛門→鳥谷助右衛門
12/20 鬼柳黒沢尻通奥寺市之丞知行横川目村百姓万右衛門ら家族6人、10日晩欠落と花巻郡代
     訴え。



【延享5年・1748】7/12以降寛延元年、家老漆戸主膳茂親・葛巻覚右衛門祐冑・簗田物集女

1/1 藩主大膳太夫在国、年頭御礼。若殿信濃守信貞在府。
1/11 二子万丁目通代官浅石治左衛門→原平兵衛、花巻新御蔵奉行円子惣五郎→工藤清助、
    黒沢尻御蔵奉行折笠甚兵衛→内城嘉左衛門
1/15 境目通願訴、目付までの申し出を改め、郷村方勘定頭へ御用承ることとなり花巻通代官は
    郡代まで書状で申遣
1/17 安俵高木通黒川嘉八郎知行倉沢村百姓安兵衛(41歳)、29日より行方不明との代官訴え
    ・畑返下奉行工藤平次右衛門→花巻御給人平沢与七郎、郡代へ書状。
    ・花巻通畑返御用下奉行下田清大夫へ役料1カ年5駄ずつ支給
1/20 安俵高木通代官佐藤善兵衛→円子惣五郎



【延享5年・1748】7/12以降寛延元年、家老漆戸主膳茂親・葛巻覚右衛門祐冑・簗田物集女

1/27 鬼柳黒沢尻通代官藤根清左衛門と工藤文太夫、前年の金米銭取立皆納仕切勘定ともに出精
    したとして言葉の褒美、郡代へ書状で申遣
2/5 御用人下斗米小四郎、前年11月花巻勤番の際宿食気味と疝積再発し治療、役御免を願い
    出るが却下される。
2/6 二子万丁目通上根子村矢幅弥右衛門知行百姓左平次一家、25日夜欠落との代官訴え
2/7 御徒頭中村清右衛門と花巻郡代、預り御徒三田平次右衛門動悸つよく物忘れあり、花巻御給
    人神山四郎右衛門弟の磯八(24歳)を養子とする願い、認可。郡代へ書状→2/晦、磯八、
    養父の番代
2/13 花巻御給人大里庄右衛門、浮田番所勤務のところ私用で盛岡に外出したことが3日発覚
    し、身帯取上げ、同役上田弥四郎は閉門の処分→3/15上田弥四郎、閉門を免除される。
2/17 織笠庄助、御用人仰付、花巻郡代就任し、下斗米小四郎と花巻勤番の沢田宇右衛門は花巻
    郡代解任
2/21 跡式:花巻御給人大関源五右衛門→子の喜惣右衛門、50石、郡代へ書状
3/2 家督:花巻御給人金田一小右衛門(老病)→子の吉之丞、郡代へ書状。馬責佐羽内喜治の養子
    に、花巻御給人簡権左衛門次男の弁次郎(21歳)、御用人と花巻郡代へ仰出
3/14 安村文太夫、痔煩い台へ2廻の湯治暇。下斗米小四郎、疝積差発し台へ2廻の湯治暇
3/15 二子通相坂半七郎知行百姓藤次郎、屋敷内の栗切取り、不調法として五人組預り
3/23 安俵高木通江刺脇之助知行百姓六助、手廻し5人、1日夜より行方不明、代官、郡代を通じ
    て訴え。
3/27 殿様参勤のめた27日盛岡発駕
4/12 和田甚之助、花巻御鳥見仰付、2人扶持支給→4/17和田甚之助へ永代証文交付
4/19 谷地孫太夫と池田源次郎、湿瘡煩い台へ1廻の湯治暇。殿様、8日江戸到着
4/25 酒値段:諸白1升103文、並酒78文、5月1日より
5/2 殿様、16日浅草御蔵火の番仰付。
5/10 若殿、3日江戸発駕→5/14若殿、本日午の刻盛岡着。
5/29 山元甚右衛門、持病の痔差発し台へ2廻の湯治暇
6/2 花巻川口町新町権七借屋の源助と三吉子の市助、不行跡により花巻郡代牢屋申付け、評定の
    結果、源助は田名部へ、三吉子の市助は野田へ追放の処分
6/3 安俵高木通江刺脇之助知行、十二ケ村穴畑屋舖丑五郎小屋より出火し13軒焼失、脇之助・
    代官訴え
6/8 黒沢尻通藤根村小野五郎兵衛知行、久左衛門手回し4人、14日より行方不明、花巻郡代末書
    にて訴え。
6/9 設楽覚弥、持病の痔により台へ1廻の湯治暇、工藤文太夫、持病の打身により台へ2廻の
    湯治暇
6/20 御目付所加御物書御徒の木村数右衛門、痛みあり台へ1廻の往来暇
6/26 久慈弥次右衛門、持病の痔により台へ1廻の湯治暇
6/29 安俵高木通、江刺脇之助知行毒沢村与右衛門子の五兵衛、13日より行方不明、郡代訴え
7/20 跡式:花巻御給人柏葉安平太→弟で名跡の喜内、100石余、郡代へ書状
7/22 安俵高木通晴山村宇兵衛、19日よる自火にて焼失。郡代末書で訴え
7/26 跡式:花巻御給人小屋鋪(小屋敷)嘉七郎→子の佐五郎、郡代へ書状
7/27 江戸よりの触れで「寛延」の改元、郡代・代官へ書状
7/28 二子万丁目通代官田鍍嘉太夫、持病の動気差発し依願辞職
7/29 名改:花巻御給人三田六之進→三田六郎右衛門、岩間弥源太→岩間弥次右衛門、
    伊藤九伝次→伊藤権右衛門、伊藤幾松→伊藤善九郎、
    太田嘉八郎(太田五郎兵衛の子)→太田平右衛門、
    宮野豊四郎(宮野条右衛門の子)→宮野与左衛門
8/3 村田道一、春より湿煩い台への1廻湯治暇
9/14 伊藤元察、持病の痔差発し台へ湯治のため、往来9日の暇。坂井元達の倅元長、湿瘡煩い
    台へ往来9日の暇
9/20 久慈文内、前年春より湿瘡煩いながら勤務、9月初めより強く差発し、台への湯治のため
    2廻の暇
9/23 安俵通鈴木作右衛門知行百姓の小十郎、3日より行方不明、代官訴え



【寛延元年・1748】家老漆戸主膳茂親・葛巻覚右衛門祐冑・簗田物集女

9/29 山屋比斗治、寒湿煩い台へ2廻の湯治暇
10/3 山元久哥、湿瘡煩い台へ1廻の湯治暇
10/9 安俵通下小山田村、鈴木佐右衛門知行百姓の小十郎弟の金十郎(50歳)、欠落の訴え、代官
    末書にて郡代訴え
10/12 御側頭の奥瀬内蔵、加判役仰付、花巻郡代・代官へ書状で通知
10/13 下斗米小四郎、台へ1廻の湯治暇追加
10/16 若殿来春御供登の面付
10/17 若殿御次坊主の久巴、湿瘡煩い台へ2廻の湯治暇
10/23 安俵高木通葛西正兵衛知行、谷内村百姓嘉右衛門次男の新平(23歳)、12日より行方
    不明、代官末書にて郡代訴え
閏10/8 御用の間物書の松尾円治、御用人方花巻御用懸済み、御免となる。
閏10/19 安俵高木通江刺脇之助知行、田瀬村百姓孫市(53歳)一家11日晩より行方不明、五人組
     合肝入代官申出、郡代より訴え
閏10/21 荒木田治太夫(同甚左衛門弟)、湿瘡煩い台へ1廻の湯治暇
閏10/24 印東采女(同茂市嫡子)、台へ1廻の入湯暇
11/15 万丁目通沢田金七知行百姓、助作(56歳)一家29日行方不明、代官末書にて郡代まで訴え
11/17 大迫通代官立花金左衛門→戸田内権大夫、直々本役。八幡寺林通代官台十郎兵衛→
    沖五郎四郎、直々本役。
11/18 二子通成田村百姓覚内(52歳)一家3日行方不明、代官末書で郡代訴え
11/19 高木通鷹巣堂村葛西正兵衛知行の嘉平次(28歳)一家10日行方不明、代官末書で郡代訴え
11/22 鬼柳黒沢尻通竹村次郎右衛門知行、藤沢村半之助(42歳)一家、12日晩行方不明、代官
    末書にて郡代訴え
11/23 若殿参府の日程、来年3月中となる。
11/24 高木通更木村織笠庄助知行、与右衛門家19日夜自火で焼失。谷内村葛西正兵衛知行百姓
    嘉平次(29歳)一家10日行方不明を郡代訴え。
11/27 八幡寺林通田力村善四郎家、25日申刻自火で焼失、代官末書で郡代訴え
11/28 万丁目通鐺倉村三右衛門(37歳)一家14日より行方不明、代官末書で郡代訴え
12/11 八幡寺林通皆寺林村金助(42歳)一家27日より行方不明、代官末書で郡代訴え
12/14 安俵高木通矢沢村百姓伝吉手廻し5人渇命、救い米の願い出、郡代訴え、対応は花巻で
    申付けとなる。
12/19 高木安俵通下小山田村毛馬内三左衛門知行、勘九郎(54歳)一家、3日より行方不明、代官
    末書で郡代訴え
12/23 花巻御給人宮野条右衛門、従弟の中西茂太夫閉門につき差控えを郡代申出、差控に及ばず
    との申し渡し
12/25 大迫通代官に当分の間七戸忠右衛門就任→寛延2年2/3、直々本役となる。
12/27 八幡寺林通糠塚村百姓の勘七(50歳)一家、松林寺村伴金右衛門知行百姓与七(40歳)一家、
    行方不明を代官末書で郡代訴え



【寛延2年・1749】家老漆戸主膳茂親・葛巻覚右衛門祐冑・簗田物集女良度、奥瀬内蔵定蔵、
         藩主利視在府、信濃守信貞在国

1/4 花巻の昆門左衛門、新渡戸文助、工藤武次郎、玉山九郎治、高屋八郎兵衛、三田仁左衛門、
    浅水多治郎、折居嘉兵衛、与力の平賀清八と伊藤嘉平次へ新田野竿継証文交付
1/11 代官交代(花巻関係なし)。花巻本御蔵奉行百岡権四郎→松岡東後、
    大迫御蔵奉行厨川弥右衛門→帷子定七
1/12 改名:花巻の長沼小五郎→長沼平左衛門
1/13 八幡通猪鼻村、北左衛門知行の水呑百姓の久作(55歳)と子の久六(25歳)、前月25日欠落、
    郡代訴え。
1/14 大迫代官の高杉武次右衛門、持病の動悸差発し代官を依願辞任。
    ・安俵高木通代官相内半左衛門、眩暈の症煩い代官を依願辞任。→1/21後任、沢田金七
1/16 八幡寺林通新堀村、波岡六左衛門知行百姓の多兵衛(37歳)、前月28日欠落、代官末書にて
    差出し郡代訴え。



【寛延2年・1749】家老漆戸主膳茂親・葛巻覚右衛門祐冑・簗田物集女良度、奥瀬内蔵定蔵

1/20 八幡通大興寺村百姓与七(47歳)と女房(39歳)、子の卯の(5歳)、前月16日欠落代官訴え。
1/22 花巻の長坂次郎兵衛、城詰めの際居宅焼失し、鬼柳黒沢尻通代官を工藤文太夫を代理
    として本人は詰めなかった旨郡代訴え。長坂は差控となり、工藤文太夫代官所に赴任
    となる。→1/26長坂の差控解除
1/24 八幡通八重畑村、北左衛門知行水呑百姓の弥助(44歳)と女房(36歳)、子の今蔵(28歳)、
    女房(24歳)、弟の午(5歳)ほか、老母を残し11日欠落、郡代訴え。酒値段:諸白1升
    101文、並酒1升70文。
1/26 花巻作事奉行交代:沢田金七→原只右衛門
2/1 鞘師長助、寒湿煩い花巻台へ往来2廻の当時暇
2/3 花巻の神山右門(義右衛門嫡子)と藤根金右衛門娘の縁組認可、郡代へ書状。
2/5 二子万丁目通、八幡寺林通、安俵高木通各代官、雁多く迷惑を被り、春鳥討ちを派遣依頼、
    鳥討ちのわがままがあればすぐ申し出るよう、郡代へ書状。
2/14 高木通倉山村、黒川嘉八郎知行百姓の伝兵衛(40歳)、女房(37歳)、娘きん(17歳)、
    まん(14歳)、与助(9歳)、3日欠落、郡代訴え。
2/16 八幡寺林通中似内村御蔵百姓の久兵衛家、15日夜自火にて焼失、代官末書にて申し出、
    郡代訴え。二子万丁目通栃内村百姓の彦次郎(43歳)と女房(30歳)、子の太郎(15歳)、
    さる(9歳)、前月28日より行方不明、代官末書にて申し出、郡代訴え。
2/17 高木通倉沢村、三ヶ尻弥兵衛知行百姓の佐藤右衛門(69歳)と女房(71歳)、
    子の十四郎(43歳)、女房(40歳)、子の祢々(18歳)、6日欠落、同村の孫四郎(47歳)と
    女房(34歳)、娘つる(16歳)、子の太郎(15歳)、6日欠落、代官末書にて申し出、郡代
    訴え。
2/18 高木通倉沢村百姓の友助(39歳)、女房(38歳)、娘まつ(18歳)、弟さる(9歳)、倉沢村百姓
    の治右衛門(51歳)と女房(47歳)、子の熊(16歳)、妹ふく(9歳)、倉沢村の江刺長作知行
    百姓の昨十郎(43歳)と女房(31歳)、子のつぢ(8歳)、弟の祢々松(4歳)、7日欠落、代官
    末書にて訴え。
2/20 鬼柳黒沢尻通滑田村御蔵百姓の忠右衛門家、19日子の刻焼失、代官末書にて申し出郡代
    訴え。
2/23 栃内兵次郎、持病の痔差発し台へ往来7日の暇。安俵高木通小山田村、本堂源右衛門知行
    百姓喜之助弟の長助(21歳)、5日欠落、代官末書にて申し出、郡代訴え。安俵高木通代官
    当分の間勤務の沢田金七、直々本役となる。花巻の小田嶋勘之丞(疝癪煩い)隠居、倅の
    新五郎家督。花巻の神山源太郎(四郎右衛門嫡子)と城源次郎妹の縁組認可、郡代へ書状。
2/26 黒沢尻通上江釣子村、松岡左平太知行水呑百姓の孫四郎(38歳)と女房(31歳)、子の長松
    (10歳)、妹いさ(5歳)、黒沢尻通滑田村の松岡左平太知行百姓の孫右衛門(59歳)と女房
    (51歳)、子の弥四郎(24歳)、女房(18歳)、弟の戌(19歳)、太郎作(13歳)、12月12日
    欠落、代官末書にて申し出、郡代より訴え。花巻の長坂次郎兵衛、支配所より取り
    立ての買上米や御蔵預かり手形を入れた小箪笥を居宅火災の際持ち出すものの焼失、
    差控を願い出、沙汰あるまで差控に及ばないこととなる。
2/29 寺林通冨沢村下田権兵衛知行百姓の又助(51歳)と女房(49歳)、娘鶴2日欠落、郡代訴え。
3/4 黒沢尻通滑田村中里半兵衛知行百姓の甚助(32歳)と女房(32歳)20日欠落、代官末書にて
    申し出、郡代訴え。黒沢尻御蔵と花巻両御蔵の預かり手形、3月晦日限り書替え。
3/5 大迫通宮守村荒町太郎八、下宮守村金七郎へ理不尽な狼藉を働き、郡代詮議願い出、
    会所で詮議し、太郎八打ち首獄門の処分下る
3/6 二子万丁目通代官勤番の佐藤理左衛門、忌中のため勤番御免、郡代申し出る。
3/8 八幡寺林通代官の似鳥隣、病気のため代官を依願辞任→3/19後任に菊地勘太夫(当分の間)
3/11 若殿参府のため発駕→3/12花巻御仮屋発駕→3/13鬼柳御仮屋発駕→4/14若殿、前月22日
    江戸着。
3/14 安俵通谷内村平館利太夫知行百姓の助惣(53歳)と女房(45歳)、養子長之助(30歳)、女房
    (24歳)、娘きく(5歳)、助惣娘浅(10歳)、前月28日欠落、代官末書で申し出、郡代訴え。
3/21 御絵師藤田永湖、御絵御用勤務中のところ忌中御免
3/27 黒沢尻艜奉行交代:菊地勘太夫→箱石六郎左衛門。高木安俵通惣百姓、鹿による作毛喰わ
    れ迷惑、防ぎ鉄砲拝借を願うが却下され、代りに猟師派遣したが、更に鉄砲2挺拝借を
    願い出、代官と郡代訴える。これも却下され猟師派遣を郡代へ通知。



【寛延2年・1749】家老漆戸主膳茂親・葛巻覚右衛門祐冑・簗田物集女良度、奥瀬内蔵定蔵

4/1 花巻の照井五六(与五右衛門嫡子)と伊藤虎五郎姉の縁組、認可
4/4 谷地孫太夫と四戸孫次郎、いずれも湿瘡煩い台へ2廻の当時暇。
4/22 殿様、21日江戸発駕、12日振りで下向→4/22殿様、未の刻盛岡着。御用人で花巻郡代の
    織笠庄助、花巻で肴差上げ。
5/3 花巻の工藤左野右衛門淋病煩い、番代に倅喜七郎を願い出、認可、郡代へ書状。
5/8 花巻の佐藤権太左衛門、倅宇八郎(3歳)の代りに弟の幸内を嫡子とする願い、認可、郡代へ
    書状。北左衛門家来の渕沢庄右衛門三男の己之助、花巻の岩間五平治の婿養子とする願
    い、認可、岩間には郡代への書状で申渡す。花巻の門屋伝助(十兵衛嫡子)と太田平右衛
    門娘の縁組、小川千代松(文五右衛門嫡子)と奥寺孫右衛門娘の縁組、堀内虎太(定右衛
    門嫡子)と中村門右衛門妹の縁組認可、郡代へ書状。
5/12 花巻の伊藤安之助(上田十次郎弟)、養父伊藤権右衛門の名跡認可、30石1斗余、郡代へ
    書状
5/14 箱石八十八預かり御徒目付の久慈直右衛門、落馬で痛み発し台で2廻の湯治暇。絵図差上
    げの阿野兵部左衛門へ、満足の言葉。
5/19 花巻与力の大沢弥五郎、養父で隠居の新六5日より行方不明を郡代末書で訴え、仙台筋へ
    探しにいくため暇を願う。→7/晦、養父新六を黒沢尻町外れで見つけ花巻に連れ帰る、
    郡代訴え
5/23 阿野兵部左衛門、岩鷲山と早池峯山参詣のため往来10日の暇。
5/28 月次御礼:花巻の柏葉喜内と伊藤安之助
6/1 黒沢尻通滑田村橋本左太夫知行の百姓清六(46歳)と女房(44歳)、子のたく(12歳)、弟の
    五郎八(35歳)、28日欠落、郡代末書で訴え。
6/4 花巻の伊藤安之助と岩間伝八娘との縁組認可、郡代へ書状。
6/7 久慈弥次右衛門倅の庄太夫、湿瘡煩い台へ1廻の湯治暇。
6/8 改名:花巻の三田直十郎(六郎右衛門子)→三田六郎兵衛
6/10 安俵通矢沢村、黒沢伝左衛門知行水ノ目(水呑)百姓の万平(16歳)、五郎(10歳)、久六
    (65歳)、女房64歳、子熊10歳、25日欠落、代官末書にて訴え。
6/11 安俵高木通田瀬村百姓の嘉兵衛60歳と女房38歳、子戌12歳、娘なつ5際、25日欠落、
    代官末書で訴え。
6/15 葛巻覚右衛門の加判役解任、郡代へ書状→6/16葛巻覚右衛門に身帯家屋敷没収の処分。
    花巻郡代織笠庄助、仙台郡奉行橋本七郎右衛門からの飛脚便を披露する。
6/26 花巻作事奉行交代:原只右衛門→久慈伝八
7/2 花巻の北湯口村新田百姓の久助30歳、22日欠落、郡代訴え。
7/11 改名:花巻の工藤寄市郎→工藤吉左衛門。安俵高木通上小山田村半右衛門と子供2人、
    不行跡とわがままな振舞い、籠舎申付け郡代訴え、いずれも追放の処分下る。
7/17 高木通倉沢村黒川嘉八郎知行所29日山沢欠け崩れ、洪水田畑に押出し86石余押水となる。
7/24 鬼柳黒沢尻通代官工藤文太夫、23日花巻城に罷り出て宿下りの途中中風に罹る。同役の
    長坂二郎兵衛を呼び、小田代又右衛門知当分代りに申付け、郡代より願書。
7/25 安俵高木通矢沢村黒沢伝左衛門知行の庄之助の子、清之助女房が行方不明、代官末書にて
    郡代訴え。
8/1 花巻の長坂次郎兵衛、鬼柳黒沢尻通代官勤務中、居宅焼失し買米仰付、御蔵預かり手形を
    入れた小箪笥を焼失した不始末、無調法であるが、代官職を解任し身帯1/3取り上げの
    処分、花巻郡代織笠庄助より申し渡す
8/5 於三重様知行、八幡通下似内村65石255、北飯豊村233石255、柏葉村200石335
8/6 高木通砂子村葛西市右衛門知行所4石987、畑0石862、6月29日の洪水で山沢欠け崩れ
    永代荒れ地となる。
8/11 鬼柳黒沢尻代官交代:工藤文太夫→横浜兵吉。
8/14 鬼柳黒沢尻代官交代:長坂次郎兵衛→花巻の宮野条右衛門、郡代へ書状。
8/29 横田造酒右衛門、早池峯山参詣のため往来5日の暇。
9/3 岩間兵七、持病の痔治療のため台へ2廻の湯治暇
9/12 花輪七右衛門、台へ2廻の湯治暇。
9/24 安俵高木通小山田村、鈴木作右衛門知行の小十郎子の小八25歳、2日欠落、代官末書で
    申し出、郡代訴え。



【寛延2年・1749】家老漆戸主膳茂親・葛巻覚右衛門祐冑・簗田物集女良度、奥瀬内蔵定蔵

10/1 領内中宗旨改め:稗貫郡26,076人(内男13,832人)、和賀郡36,081人(内男26,028人)、
    花巻町4.592人(内男2549人)。
10/2 黒沢尻通本町伝九郎家、前月晦日丑の刻自火にて焼失、代官訴え、郡代より申来る。貸上
    金の仰せ出。
10/9 沢田多右衛門、湿瘡煩い台へ1廻の湯治暇。花巻の佐藤権太左衛門労症煩い隠居、倅幸内
    家督の願い認可し、盛岡詰め合いの郡代織笠庄助に申し渡す。
10/晦 八幡寺林通新堀村、岩間将監知行百姓の門之助ら、馬9匹で22日年貢を地頭に納入し、
    帰りに新堀村境渡し船に乗った4人落雷に遭い、死者と行方不明者がでた。代官訴え、
    郡代より目付まで訴え。→11/1岩間将監報告
11/1 花巻与力の大沢弥五郎、出奔した養父新六を黒沢尻で見つけ連れ帰るが、3日行方不明と
    なり無調法として差し控えていることを郡代末書で訴え。改名:御絵師石川菊松→石川
    庄蔵、御打物鍛冶冨之助→久四郎、御表具師岩井伊八郎→岩井久右衛門、いずれも願い
    の通り申付けたことを御小納戸の者目付まで申し出。
11/11 来春供登り秋まで勤務の面付:於愛様番人3人の内、花巻の三田六郎右衛門
11/22 花巻町奉行勤番の高橋要右衛門、親円休看病のため暇願いの口上書、郡代を通じて提出
    し、目付より認可される
12/10 八幡寺林通北湯口村新田百姓の長七家、8日亥の刻自火にて焼失、馬2匹焼死、長七五人組
    預かり、代官申し出、郡代より目付まで訴え。
12/11 改名:花巻の新渡戸甚内→同九蔵、一条丑之助→同斧右衛門、江釣子丑五郎→同左七郎。
    花巻四日町の質屋弥十郎家、前月23日質蔵破られ66品盗難、花巻で詮議、一日市町で
    3日八幡町市助、久慈町金五郎とともに盗んだこと白状し、盗品を添え郡代から目付
    まで申し来る。金五郎出奔のため、人相書を配り探索を目付に命じる。
12/19 代官あて肝入などからの贈答不可を仰せ出、花巻4代官へは郡代あての書状で申渡す。
12/22 花巻の小原久四郎、嫡子に次男の酉次郎としたい願い認可、郡代あての書状で申遣わす
12/26 二子万丁目通村崎野村百姓の惣助65歳、女房64歳、子源七29歳、女房22歳、成田村百姓
    の小右衛門57歳、女房50歳、長吉27歳、女房17歳、妹いぬ18歳、まん8歳、村崎野村
    百姓の市助56歳、女房31歳、子宮松8歳、弟加入6歳、村崎野村百姓の三之丞28歳、
    女房18歳、村崎野村百姓の助治郎36歳、女房28歳、鬼柳通藤根村小野五郎兵衛知行
    百姓の助十郎72歳、女房72歳、前月6日欠落、代官訴え出、郡代より訴え。



【寛延3年・1750】藩主利視在国、家老漆戸主膳茂親・奥瀬内記定則・簗田物集女良度、
         奥瀬内蔵定景

1/2 年頭御礼:花巻御給人100石以上素礼、御絵師右子供藤田左吉→1/6花巻御給人100石以上
    2人ずつ
1/11 花巻町奉行高橋要右衛門と鳥谷助右衛門、花巻作事奉行の久慈伝右衛門と久慈伝八解任の
    仰出、目付へ申渡す
1/12  花巻の雫石九十郎、次男の弥九郎を中野筑後家来の川村儀右衛門の養子とする願い認可、
    郡代へ書状
1/14 花巻町奉行に、取次の神山幸右衛門仰せ付け、郡代へ書状
1/15 月次御礼:花巻種内不動別当の子、要之助。
1/22  跡式:花巻の永井金兵衛→子の永井治郎助(15駄)、認可、郡代へ書状。西根御山奉行に
    上野嘉藤治、郡代申付け。葛丸山、前年冬春下運上山となり山奉行2人では不足のため。
1/23 横沢武治右衛門、湿瘡煩い台へ2廻の湯治暇。
2/8  家督:花巻の四戸与一右衛門→倅八十七、郡代へ書状。
2/14 花巻郡代より、遠野本宿村長吉が11月11日夜谷内村与次郎によって追剝ぎにあい、花巻で
    牢屋入り。郡代より書状。
2/18 八幡寺林通代官菊地勘太郎、病気のため役儀御免
2/26 高杉武次右衛門、八幡寺林通代官菊地勘太夫病気で代官辞任、後任として当分の間。自殺
    した飯富了碩の身代没収。
3/2  八幡寺林通代官の沖五郎四郎、傷寒のため辞任。
3/9  岩間門太夫、湿瘡煩い台へ2廻の湯治暇。花巻の小田代新蔵(新右衛門嫡子)と高橋市郎平
    娘との縁組認可


【寛延3年・1750】藩主利視在国、家老漆戸主膳茂親・奥瀬内記定則・簗田物集女良度、
         奥瀬内蔵定景

3/10 前年12月11日花巻四日町の質屋盗み入りの市助、花巻で御仕置きの処分
3/15 殿様26日参勤のため盛岡発駕→3/26殿様卯中刻発駕、郡山巳中刻着→3/27花巻前日未下
    刻着、花巻御仮屋卯上刻発駕→4/23殿様8日江戸着(12日振り)
3/29 跡式:花巻の上田治平→倅上田八郎(50石)、郡代へ書状。
5/19 安俵高木通土沢村、江刺長作知行所足軽長四郎家、18日丑ノ刻焼失、40軒類焼、代官申し
    出、郡代訴え。
5/25 大迫上町利兵衛家、23日焼失、50軒類焼、代官末書にて訴え。
5/26 若殿下向の配符
5/28 大迫通合力村百姓藤右衛門家、27日戌刻焼失、300軒余り類焼
6/1 若殿在着の御礼を受ける
6/2 鬼柳黒沢尻通横川目村美濃部作左エ門知行の水呑百姓次郎吉(39歳)、19日欠落、代官申し
    出、郡代訴え。
6/4 高橋林助、持病の痔差発し、台へ往来9日の暇。
7/2 跡式:花巻の小原平四郎→小原酉次郎(5駄2人扶持)



【寛延4年・1751】  藩主利視在府、家老漆戸主膳茂親、奥瀬内記定則、奥瀬内蔵定景

1/1 信濃守信貞在国、年頭御礼受け。
1/2 信貞、新丸上段の間で年頭御礼。花巻御給人100石以上鳥目で御礼。御絵師藤田左吉。
1/11 花巻御本蔵奉行女鹿勝兵衛→岩間甚太夫
1/12 花巻御給人奥寺孫兵衛、嫡子多次右衛門病死、嫡孫孫吉を嫡子とする願い、認可。太田
    五郎右衛門、嫡子平右衛門病死、嫡孫五郎七を嫡子とする願い認可。平沢庄七妻に鈴木
    与三右衛門娘、小山田茂平太嫡子の十太郎妻に小田城又右衛門娘、名須川小兵衛嫡子
    宮松の妻に照井与五左衛門娘、嫡子の変更と縁組認可、花巻郡代へ書状
1/20 暦の20日直し、花巻郡代や在々代官へ書状
1/23 黒沢尻通滑田村中里半次郎知行百姓利助(27歳)、女房21歳、前月20日欠落、代官より
    郡代を経て訴え。
1/29 倹約の吟味、花巻郡代へ御用状で通知。当番は織笠庄助。
2/4 黒沢尻御蔵奉行艜奉行玉内長左衛門→工藤杢右衛門
2/7 鳥見長岡沢右衛門、持病の湿瘡再発、台へ1廻の当時暇
2/8 高木安俵通立花村石井惣兵衛知行百姓の清蔵57歳、女房46歳、子清吉24歳、妹お葉
    13歳、前月18日欠落。同村石井宇兵衛知行百姓の五郎18歳、母77歳、同日欠落。代官
    申し出、郡代より訴え。地頭よりも訴え。
2/24 葛西正兵衛三男の半太夫、持病の痔疾再発、台へ2廻の当時暇。寄木左源太倅の伊太夫、
    湿瘡煩い台へ2廻の当時暇。
2/26 佐羽内仁兵衛、湿瘡煩い台へ湯治往来2廻の暇
3/4 花巻御給人平沢与七郎、病気のため黒沢尻畑返下奉行辞任願い不認可、郡代へ書状。
3/5 下杉茂右衛門、湿瘡煩い台へ入湯2廻の暇。川奉行の矢羽々多次兵衛、湿瘡煩い台へ入湯
    1廻の暇。
3/11 若殿参勤のため巳刻盛岡発駕→3/12若殿、酉上刻花巻城着、仮屋入り。和賀川洪水のため
    花巻御仮屋逗留。→3/14若殿、辰下刻和賀川を船でわたり、鬼柳仮屋入り、巳刻仮屋発駕
    →4/10若殿、前月23日千住でお昼の上、江戸下屋敷入り。
3/15 北左衛門家来渕沢庄右衛門三男巳之、花巻御給人岩間五平治の婿養子認可。岩間へは郡代
    へ書状。
3/23 八幡寺林通北湯口村四戸甚左衛門知行百姓の久兵衛47歳、子兼4歳、3日欠落、代官
    末書、郡代訴え。
3/24 高木通湯元村百姓の左平治家、家と小屋20日夜自火で焼失、代官組預けを郡代へ申し出、
    郡代訴え。
3/29 安俵高木通幸田村百姓助右衛門家、26日夜自火で焼失。代官組預けを郡代へ申し出、郡代
    訴え。
4/3 八幡寺林通松林寺村百姓与助61歳、女房58歳、子長作38歳、次男長四郎28歳、娘くら
    14歳、前月5日欠落。長作は前年春江戸詰夫として罷登り。同所うの17歳、弟みの7、
    母34歳、前月7日欠落。代官末書で申し出、郡代訴え。
4/11 縁組認可:花巻医師小野寺立民妻に神山幸右衛門娘、二子万丁目通刀差猫塚文次郎妻に
    花巻の佐々木弥七郎娘、花巻御給人の雫石弥右衛門嫡子の内蔵松の後妻に郡山御役医
    の内城玄真娘、郡代へ書状。
4/17 花巻川口町類族喜伝次64歳、16日病死、郡代訴え。宗門奉行へも郡代報告。
4/19 勘定方下斗米善六、中寒煩い台へ16日の往来暇。波岡兵次郎、湿瘡煩い台へ入湯1廻の
    暇。
4/26 屋形様(利視)、21日江戸発駕。道中12日振り、翌月3日盛岡着。
5/2 屋形様(利視)、午中刻花巻御仮屋着→5/3屋形様、午下刻盛岡着。花巻郡代織笠庄助、
    肴1折献上。
5/8 万丁目通北万丁目村新田百姓源右衛門家、5日夜八ツ時自火にて焼失、代官末書で申し出、
    郡代訴え。
5/9 縁組:花巻御給人金田一六之丞妻に照井与五右衛門娘、金田一小太郎妻に金田一次郎八娘、
    目付へ仰出、郡代へ認可の書状
5/10 花巻御給人簡権利左衛門、倅作太夫病気のため嫡子を孫の喜代松、認可、郡代へ書状
5/15 月次御礼:花巻の関係者なし



【寛延4年・1751】 10/27宝暦と改元 藩主利視在府、家老漆戸主膳茂親、奥瀬内記定則、
          奥瀬内蔵定景

5/17 花巻御給人平沢与七郎嫡子の孫太郎、立願のため伊勢参宮、郡代末書で願い上げ、認可。
5/21 八幡寺林通八重畑村花輪七右衛門知行百姓の清八子亥19歳前月19日欠落、代官申し出、
    郡代訴え。
5/24 縁組:花巻御給人工藤吉左衛門後妻に堀内定右衛門娘、認可、郡代へ書状。
6/5 高木安俵通代官円子惣五郎、役所で類中煩い半身不随、治療のため伊東玄察を派遣。
    →閏6/22円子惣五郎病気辞任願いを認可。
6/15 上野九右衛門、湿瘡煩い台へ入湯2廻の暇
6/27 大御所(徳川吉宗)20日病死と鳴物・普請停止の通知、花巻郡代へ書状。
6/28 大村友左衛門、寒湿煩い、台へ入湯1廻の暇。中野孫左衛門、持病の痔再発、台へ入湯
    1廻の暇。
6/29 切支丹類族死室の覚:花巻川口町喜伝二、寛延4年4月16日死去、宗青寺に土葬。花巻
    御給人松川民右衛門嫡子に次男幾松。
閏6/11 高木通谷内村桜庭十郎右衛門知行百姓の勘六46歳、5日欠落、十郎右衛門訴え、公事方に
    委細あり。
閏6/25 久慈弥次右衛門倅の庄太夫、痔治療のため台へ1廻の暇
閏6/28 花巻御給人長坂次郎兵衛、知行所の黒沢尻通藤根村畑返願い(畑0石367)、平賀虎次郎知行
    の黒沢尻通上江釣子村畑返し(1石995)、蛇口六郎左衛門知行の黒沢尻通藤根村畑返し(2
    石303)と江釣子村畑返し(3石280)、太田五郎右衛門知行の黒沢尻通町分畑返し(1石530)、
    宮杜五郎右衛門知行の黒沢尻通北鬼柳村畑返し(0石547)、簡伝十郎知行の黒沢尻通北鬼
    柳村畑返し(0石350)、認可され、郡代へ書状。
7/3 御絵師藤田永湖へ、御境絵図御用を仰せ付け、郷村御用懸勘定頭の嶋川幸右衛門の指図を
    得て勤務する。
8/6 縁組:花巻御給人昆門左衛門後妻に郡山御役医内堀玄真娘、認可、書状花巻郡代へ遣わす
8/7 名改:花巻御給人伊藤虎四郎→伊藤次郎右衛門、平賀虎太郎→平賀義兵衛、雫石内蔵松(弥
    右衛門嫡子)→雫石九十郎、名須川宮松(小兵衛嫡子)→名須川茂太夫
8/20 家督継目御礼:小森林源太、初目見得御礼:松川幾松
9/9 鳥目差上げ:花巻御給人簡喜代松(7歳)、奥寺孫吉(19歳)、三田澄太郎(9歳)、三田元十
    郎(7歳)、櫛引善太郎(9歳)、戸田弁之助(15歳)。東彦七郎、加判役を仰せ付け、役料
    現米200石支給。
9/11 跡式:花巻与力平賀新八→安五郎、郡代へ書状遣わす
9/17 領分中の代官へ仰せ渡す、定役や上納金銭が上納の時節に滞納、油断なく取立のこと、
    金銭仕切も遅滞なくすますこと、花巻4代官へは郡代を通じて申し遣わす
9/22 黒沢尻御蔵と艜奉行兼任に川井九蔵
9/29 領内中宗旨改人数:稗貫郡23,947人(内男13,441人)、花巻町4,438人(内男2,435人
10/4 大迫通外川目村火ノ又の百姓六左衛門家、19日子ノ刻自火にて焼失。島立甫曾祖父50回
    忌、花巻瑞興寺で9日、茶湯心付け、名代に次男立固を派遣。
10/8 遊座善兵衛、湿瘡煩い台へ湯治、2廻の暇
10/10 大巻喜左衛門娘婿に、花巻の戸田喜左衛門三男の清之助、郡代へ書状遣わす
10/17 花輪七右衛門嫡子の金蔵、湿瘡煩い台へ入湯、2廻の暇
10/18 花巻の岩間五平治、実子左内(3歳)を嫡子とする、郡代へ書状
10/19 黒沢尻街道で16日六十六部と見られる坊主の遺体発見、代官から郡代へ訴え、見分のため
    新渡戸伝蔵派遣され、代官立合い見届け。
10/27 花巻の菊地久平妻に大湯孫四郎妹とする縁組、認可され、郡代へ書状。川井仁右衛門、
    湿瘡煩い台へ1廻の暇
11/1 御小納戸の久慈喜八郎、有徳院御宝堂の灯籠に文字認めを命じられる→11/14久慈喜八
    郎、湿瘡煩い御用を辞退する。
11/2 鈴木東作、持病の痔再発、台へ湯治往来2廻の暇
11/14 江戸で宝暦の改元の通知
12/6 寺林通大興寺村奥瀬内記方百姓の藤九郎(41歳)、18日夜欠落、代官と地頭訴え
12/8 改名:花巻の三田伝次郎→文右衛門



【宝暦元年・1751】 10/27宝暦と改元藩主利視在府、家老漆戸主膳茂親、奥瀬内記定則、
          奥瀬内蔵定景

12/9 花巻の佐々木仁右衛門、嫡子武膳病身のため、実弟で工藤左野右衛門次男の熊五郎を養子
    とする願い認可、郡代へ書状。
12/14 佐羽内仁兵衛、持病の打身差発、台へ湯治1廻の暇
12/15 月次御礼:花巻の小屋敷左五郎、継目鳥目差上げ
12/16 来春の参勤共登の面付(花巻関係なし)。花巻御役医の伊藤元伯、嫡子丑之助病死のため
    次男辰蔵を嫡子とする願い認可、郡代へ書状
12/26 花巻の佐藤甚助娘婿に大湯孫四郎弟の伝八とする願い認可、郡代へ書状。



【宝暦2年・1752】 藩主利視在国、家老漆戸主膳茂親、東彦七郎政甫、奥瀬内記定則、
          奥瀬内蔵定景

1/11 代官交代:大迫代官七戸忠右衛門→野田弥右衛門、安俵高木通代官沢田金七→
    小山田覚左衛門
1/16 二子万丁目通代官佐藤利右衛門の代りを吟味申しつけられ、花巻の小田代亦右衛門を申し
    つけたとの郡代より訴え。
1/17 縁組:花巻の小林源太妻に簗田通迪娘とする願い認可され、郡代へ書状
1/20 花巻の鈴木久太夫、病気快癒まで倅八十五を番代とする願い認可され、郡代へ書状
1/25 酒値段:諸白1升64文、並酒1升52文、2月1日より
1/26 石巻御船宿の蔭山七右衛門より年始祝儀鮒10(白木台)と蒸かれひ20(白木台)差上げ
  →1/晦日、福島本陣の安斉市郎右衛門より小杉5束と鴨2羽、柿1箱(いずれも白木台)
2/1 太田村昌歓寺病気のため隠居、認可。
2/2 家督:花巻の長沼平左衛門(痰煩い)→倅新吉、五日市伝右衛門(眼病患い)→倅小弥太、
    郡代へ書状。
2/3 花巻新御蔵奉行工藤清助→太田甚内
2/4 大巻喜左衛門倅の勇助、湿瘡煩い台へ湯治、往来9日間の暇。花巻の戸田喜左衛門、老衰と
    中症のため隠居、倅忠兵衛家督の願い認可、郡代へ書状。
2/5 太田村昌歓寺の後住に、岩泉村雲岩寺即門長老とする願い、認可され宗門奉行へ申渡す
2/6 二子万丁目通横志田村百姓覚平家1日焼失、村肝入の訴え遅れる、郡代訴え
2/13 家督:花巻の高浜喜兵衛(癇症)→倅三次郎。花巻の三田利平太、次男の友弥を嫡子とする
    願い認可、郡代へ書状
2/18 家督:花巻の佐々木平蔵(痰疝と眼病)→倅権之丞、郡代へ書状
2/19 安俵高木通江刺勘解由知行百姓の惣左衛門(64歳)一家、4日晩に欠落、郡代訴え
2/23 二子万丁目通代官の原平兵衛と佐藤利左衛門、前年金銭取立出精により褒美の詞
2/24 八幡寺林通八重畑村、北左衛門知行の半助(52歳)、2日欠落、郡代訴え。
2/25 安俵高木通成嶋村百姓で火元の嘉右衛門、組合預かり免除
3/1 八幡寺林通五太堂村、松尾嘉四郎知行百姓の小右衛門(64歳)と女房(53歳)ら19日欠落
3/3 殿様の病気回復の現状報告。中目左司馬、10駄5人扶持で召出され花巻御給人となるり、
    花巻に住居し郡代指図を得てつとめることとなる。花巻の松川民右衛門、病気快癒の
    間、倅幾松を番代とする願い認可、郡代へ書状
3/18 殿様、持病の脚膝痛み再発し長旅困難、参勤延期、郡代へ書状
3/28 殿様(利視)病死
4/5 花巻本御蔵奉行の松岡東伍、病気のため勤番をとりやめ盛岡に戻り、倅宇八郎道中見届
    け。→5/1花巻本御蔵奉行に工藤清助
4/15 花巻の高橋林助行方不明、高橋市郎平と高橋治兵衛、境筋まで訊ねるため17日から15日間
    の暇、郡代へ書状。
4/18 二子万丁目湯口村伝八名子の長助家、16日自火にて焼失、郡代訴え。若殿の呼称を
    殿様、三郎様を若殿と改称。
5/27 安俵通小山田村、本堂源右衛門知行百姓の弥七名子の久助(32歳)28日欠落、鈴木作右衛門
    知行百姓伝之助名子の万吉弟孫四郎(39)と女房(38歳)8日欠落、代官末書を以て訴え
6/2 殿様の家督相続5月5日幕府より認可、花巻郡代や諸代官へ書状で通知。
6/4 花巻町奉行の照井与五右衛門と花巻取次の小山田茂平太、花巻の諸士名代として殿様家督に
    祝辞
6/6 安俵高木通代官交代:鈴木兵左衛門→花巻の三田六郎右衛門



【宝暦2年・1752】家老漆戸主膳茂親、東彦七郎政甫、奥瀬内記定則、奥瀬内蔵定景

6/29 改名:花巻の櫛引弥五郎→櫛引重作、宮杜五郎右衛門→宮杜五右衛門、
    高浜三五郎→高浜弥太夫、平沢辰五郎→平沢弥六、鈴木五郎太→鈴木宇兵衛、
    小嶋新五郎→小嶋新左衛門、藤根金右衛門嫡子の金五郎→藤根金左衛門、
    鈴木源五郎(久太夫嫡子)→鈴木半平、小野寺磯五郎(惣右衛門嫡子)→小野寺主蔵、
    三田定五郎(仁左衛門嫡子)→三田東太、郡代へ書状。
7/11 改名:花巻与力の平賀安五郎→平賀清七、大沢弥五郎→大沢庄右衛門
7/18 二子万丁目通代官当分の鈴木兵左衛門、本役となる(もと原平兵衛の代り当分の間)。
7/21 花巻の平沢与七郎、黒沢尻畑返下奉行を病気のため辞任願い、認可され、郡代へ書状。
8/6 縁組:花巻小原平十郎妻に高橋市郎平養女、中目左司馬妻に雫石弥右衛門妹、郡代へ書状。
8/10 早池峯新山宮普請でき、上遷宮の導師を依頼された盛岡の永福寺、15日から19日まで往来
    5日の暇
8/19 改名:花巻の菊池久平→菊池門左衛門、郡代へ書状
8/20 家督:花巻の亀ケ守六之丞(中症)→倅伝次郎、郡代へ書状。
9/1 太田郷右衛門、持病の湿瘡煩い、台へ入湯2廻の暇
9/17 花巻御給人で境古人頭の高屋八郎兵衛、居宅大破建替え、資材に居宅内の居久根廻の杉と
    栗を充てたいとの願い、認可され、郡代へ書状。
9/18 大迫通代官当分の三上安右衛門、本役となる。
9/19 花巻の中目左司馬への永代証文、目付へ渡す
9/23 家督:花巻の鈴木与惣右衛門(長煩い)→倅幾右衛門、郡代へ書状。
9/24 大迫通川目村百姓新助家、22日昼七時自火にて焼失、代官訴え。
10/4 花巻三町代官所、9月中の他領者出入りなしとの書上げ、郡代より差出す
10/8 領分中宗旨改目録:稗貫郡24,399人(内男13,725人)、和賀郡34,176人(内男
    19,717人)、花巻町4,513人(内男2,499人)、宗門奉行より差出し、江戸へ登る
10/10 二子通代官鈴木兵左衛門、忌中のため御免。
11/2 在々で勧進相撲や芝居興行は今後無用との仰せ出、花巻郡代へ書状
11/8 高野仁右衛門、持病の痰積のため岩崎御番を解任→11/16津嶋弥之助、病気のため岩崎
    御番を解任
11/9 江刺勘解由、子籠粕漬鮎1箱と鮎鮨1箱、簀巻鮎1台を殿様に献上
11/12 跡式:花巻の堀内定右衛門→倅虎太、51石、郡代へ申し遣わす
11/13 鬼柳通岩崎村五右衛門家、10日の夜自火にて焼失、代官の訴書、郡代訴え
11/19 江戸で刑部卿嫡子の小五郎病死の旨、郡代へ通知
11/22 高木安俵通、江刺勘解由知行百姓の甚之助(43歳)と女房(36歳)ら2日欠落、代官訴え。八
    幡寺林通草刈場出入り片付御用のため、目付の小向才右衛門と勘定頭の寄木左弥太、
    派遣
11/26 沖覚兵衛、大迫通代官本役となる。二子通二子村水呑百姓の市郎右衛門家、23日夜自火に
    て焼失、郡代訴え
11/29 花巻鉄炮師辻村七郎兵衛、四匁素筒1挺を例年のとおり差上げ
12/1 跡式:二子万丁目通刀差猫塚藤次郎→倅文次郎、53石995(内35石900は新田、3駄2人扶
    持)、郡代へ書状。
12/9 来春江戸留守守の面付:若殿御部屋錠口番、花巻の伊藤左内、郡代へ書状。
12/17 二子通円満寺村、沢田金七知行百姓助次郎(35歳)と女房(25歳)、子の太郎(4歳)、8日夜
    欠落、代官訴え
12/21 家督:花巻の鈴木久太夫(疝積煩い)→倅の半平、郡代へ書状。
12/23 天量院(利視)遺物の上々様への形見分け:貞林院へ琴碁書画(唐絵を休印写す)2幅対
    を、於虎様へ休山筆滝燕1幅を、於台様へ松林筆和歌三神3幅対。
12/27 八幡寺林通切田内右衛門知行百姓の助左衛門(38歳)と女房(31歳)ら16日欠落、郡代訴
    え。
12/28 縁組:花巻の小田代新蔵(又右衛門嫡子)の妻に川口甚右衛門娘とする願い、認可、郡代へ
    書状。
12/29 花巻春木奉行三田文右衛門→岩間伝八
最終更新日: 2015年03月15日
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