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家老席日誌-宝永2年~同7年
投稿者:ふるさと 管理1
カテゴリー: 花巻城家老席日誌
【宝永2年・1705】
1/8  花巻御給人一方井庄太郎は江戸上屋敷台所奉行に、同神山市内は
    上屋敷破損奉行に任命、3月江戸上り
1/10 ・鳥討、和賀通は雫石弥右衛門、花巻御城廻は中野新介、石鳥谷
     通は大森金之尉
     ・黒沢尻番人交代、藤村清左衛門・山田太郎兵衛・沖孫太夫→藤田
     太郎兵衛・沖弥市 右衛門・白石与六
1/18 ・改名、長沼治五右衛門→同五郎左衛門
    ・楢山五左衛門隆常病死、五左衛門判形を回収(同21日印・居判
     を老中箱へ)
1/29  日戸五兵衛(もと花巻城代)、江戸上りを免除
2/5  豊沢川橋本で花巻川口町助八殺害を詮議、容疑者へ科金
2/11 松前志摩守様、花巻1泊(翌日松前へ出立)
2/15 ・高木通代官交代、照井多左衛門→中市吉右衛門
     ・八幡通代官交代、四戸庄助→簡作右衛門
     ・黒沢尻代官交代、一方井庄太郎(上屋敷台所奉行)→小山田善左
     衛門
     ・鬼柳代官交代、神山彦右衛門→富沢六左衛門
2/17  暮れに黒沢尻・花巻両蔵から主税様(政信)へ米700俵(4斗入り)上
     る
2/19 大迫代官交代、石亀権左衛門→多田仁右衛門
3/1  藤田宇兵衛、剃髪し絵御用、3人扶持加増し8人扶持となる
3/4  楢山五左衛門病死につき、鬼柳・花巻・石鳥谷・郡山の通筋に掲
    げる制札を書直し
3/12 雑書及び遠近帳書役交代、神又兵衛→照井市平と大里重内(御家中
    諸士遠近帳、勘定所から取り込み、目付所で元禄12年から着手)
3/13 ・花巻城代松岡藤右衛門、往来の際人足4人と伝馬1匹借用を認可
    ・広照院花巻1泊(江戸へ向かう)
3/14 春の検地、花巻へ目付青き八郎右衛門を派遣
3/17 八戸藩主の花巻宿泊の際、料理人2人と賄1人盛岡から派遣、花
    巻城代御機嫌窺いに参上に留めることを指示
3/22 八戸藩主右近様(通信公)花巻御仮屋で1泊(江戸上り)
3/25 ・老衰の長谷寺隠居、弟子の高松寺を後住にする申請の認可、永
     福寺帰国まで延期
    ・八戸彦市、台で湯治休暇
3/29 大迫村桂林寺、寺材木申請
4/12 松川忠左衛門、三戸の同藤四郎へ洗濯物(綿入れ小袖など4着)を
    送る
閏4/12 ・殿様、花巻1泊(4月30日江戸発、閏4月13日盛岡着)
      ・官位取得に上方へ上る花巻年行事定覚院へ金17両下賜
閏4/15 ・花巻御給人戸来熊之助と神山七郎助、同与力名須川小兵衛、
      安堵金2歩ずつ指示、殿様花巻1泊の折御礼申上
閏4/16 長沼五郎左衛門、光源院付となる
閏4/18 松岡藤右衛門、花巻城代(楢山茂右衛門と同役)と御用人兼帯に
     任命
閏4/19 ・松岡藤右衛門へ、往来の際貸与の人足と伝馬停止(城代役料支
      給による)
     ・跡式、花巻御給人小原平十郎→同文助(5駄2人扶持)
閏4/20 花巻高松寺後住に長谷寺
閏4/21 花巻城代楢山茂右衛門、藩主入部祝儀に川鱒2本を献納
閏4/22 花巻城代交代、楢山茂右衛門(御用人任命)→宮部図書(相役松岡
     藤右衛門)
閏4/23 楢山茂右衛門手廻、花巻から引越し(人足20人と伝馬7匹貸与)
5/3  花巻城代、端午の祝儀に肴1折と湯煮蕨5把を献納
5/9  寿昌院様、花巻1泊、花巻城見物の予定(5月11日花巻着)
5/12 前日寿昌院様、町奉行先導で花巻西御門から城内に入り御座敷見
    物、蕎麦切とお茶を食し出立。
5/16 献上のカタクリ粉、江戸へ送る(6月8日公儀へ献納)
5/21 黒沢尻蔵奉行交代、大守庄兵衛→柴内作右衛門
5/23 飯富了通、元禄9年畑返し切添証文を受けながら椚目村で披立の
    ないことから、代 替地を申請
5/27 江戸秋代役人、上屋敷末鍵番遠藤六右衛門→平賀一郎右衛門(平賀
    一郎右衛門病気により大ヶ生庄兵衛と交代)
6/4  跡式、昆喜右衛門→弟・喜七郎(地方現米は取上げ、金方100石、
    跡式以前の喜七郎の10駄2人扶持も取上げとなる)
6/7  松前志摩守へ、音信としてカタクリ粉と塩鶉各1箱送る
6/9  隠居の白石玉友、関氏房刀1腰を献納
6/12 ・寺林の光林寺へ下馬札、許可(8月5日下馬札立つ、花巻城代立
     会い)
     ・花巻新蔵(奉行カ)交代、田鍍源左衛門→根城又兵衛(もと大工奉
     行)
6/16 花巻城代宮部図書、美濃魚2本と鮎鮨1桶を献納
6/20 寺林の光林寺、本寺の藤沢・浄光寺へ上るため暇願い、認可。



【宝永2年・1705】
6/21 京町本家から戻った本町近江屋市兵衛、探幽筆3幅対等献納
6/25 松林寺子安地蔵祭礼済む(花巻城代の報告)
7/4  早池峰山祭礼、妙泉寺へ大迫蔵から15駄下賜
7/13 ・掫駒に、花巻は三上左助、大迫と遠野は池田杢太夫を派遣
    ・和賀水沢銅山奉行に、浅石八郎と西海枝助九郎を任命。
7/26 御中小姓煤孫勘兵衛、花巻の親類取調べに伴い遠慮の処分(8月
    29日遠慮御免となる)
7/30 万丁目通代官交代、奥寺孫兵衛→新渡戸九助
8/1  万丁目通代官交代、刈屋武助→和井内甚平(もと武具奉行)
8/3  高木通代官交代、平賀一郎右衛門→伊藤次郎右衛門
8/4  和賀郡館追村之百姓、年期明けの帰国願い
8/6  ・鳥討、花巻城廻は中野新介、和賀通は雫石弥右衛門、石鳥谷は
     大森金之尉
    ・広照院殿、前日花巻1泊、今朝辰の刻御立
8/8  花巻町奉行交代、藤根五郎左衛門(病身辞任)→松尾吉左右門
8/16 ・高木通代官交代、中市吉右衛門→村角安右衛門 
    ・花巻本蔵奉行交代、村上勘兵衛→亀ケ守(森)一郎兵衛
8/27 漆の実取役人、大迫は片岸庄太郎、花巻八代官内へ菊池半兵衛と
    米倉文右衛門を派遣
8/28 花巻城塩硝小屋へ盗人、成敗(発見の御城大工小屋番へ御米2駄褒
    美)
   (花巻与力煤孫治兵衛子の治太郎、6月29日夜花巻城塩硝蔵を破り
    塩硝1升を窃盗、大工小屋番が発見→治太郎は伯父煤孫治助家で
    7月27日成敗、父・治兵衛は息子を庇い虚偽の陳述により身帯召
    上、伯父治助は閉門の処分)
9/2  花巻御用之間取次役交代、煤孫治助(遠慮の指令)→根守治平(役料
    15駄)
10/3 花巻城代、熟柿30を献納
10/5 翌春供上り、御番人長坂十太夫・中村才十郎・伊藤次郎右衛門
10/9 ・老衰の花巻八幡寺住職、隠居。後住は弟子の信楽寺。 ・大迫山
     へ杉植林、礼金各10両で許可(52,500本)
10/9 ・大迫町の酒屋久次と同町伊八郎、礼金免除され、褒美に金10両
     下賜(大迫で杉1万本植林を評価)
    ・煤孫治助、逼塞を免除、知行100石を取上げられ、金方20両
10/14 花巻御給人乳井半十郎養子、御歩行金田一弥二郎
10/22 ・鬼柳代官交代、西川小右衛門→長山忠右衛門
10/22 ・花巻新蔵目付に下河原武兵衛、花巻新蔵目覆奉行に石川忠兵衛
     と佐藤甚平、花巻本蔵目付に舟越与兵衛、花巻本蔵目覆奉行に
     瀬川助左衛門と平沢万右衛門、大迫御蔵目付(目覆奉行兼任)に
     豊川又左衛門、黒沢尻蔵目付に今淵半九郎、同目覆奉行に葛利
     兵衛と高橋瀬兵衛を任命
10/28 宗旨改、稗貫郡30,312人、和賀郡26,769人(花巻町人口は不明)
11/16 ・同13日大迫の外川目村板橋で火事 ・藩主、毛馬内家を訪問し
     備州長船盛光の脇指1腰ほか下賜
     ・毛馬内家から雪舟筆山水と古法眼筆布袋を献上
11/20 花巻町奉行交代、松尾吉左衛門→鴨沢忠右衛門
11/23 殿様、漆戸主膳家を訪問し、雪村筆1幅献納される
11/27 ・跡式、小山田善右衛門→同善左衛門(119石3)
    ・殿様、奥瀬内膳家を訪問し紀貫之1幅献納される
11/30 公儀御買馬、昨28日午の下刻に花巻着 
12/2 花巻城代宮部図書、美濃魚1本持参し戻る
12/4 藩主、法輪院を訪問し、雪村筆ほか献納される
12/12 ・花巻八幡寺と櫛引八幡別当普門院、来る正月より独礼の由
     ・昆喜七郎、父喜右衛門拝領の御紋上下の着用を認可される
12/13 ・花巻城物書神山忠内、4年間の勤務評価され、2人扶持と四季
     施2両を支給される
     ・花巻城物書三田文右衛門、勤務評価され、3駄支給される
     ・花巻与力鈴木彦右衛門、知行所畑返し切添により、50石となり、
     御給人となる
     ・花巻信楽寺、八幡寺後住の処、信楽寺後住となる
12/26  花巻城代、御歳暮に干蕨、串柿、鮭披を献納



【宝永3年・1706】
1/2  盛岡城で藩主に50石以上の花巻御給人、年始の目見え
1/10 黒沢尻物留番人交代、藤田太郎右衛門・沖弥一右衛門・白石与六
    →松田弥兵衛・八木橋茂左衛門・宮田武兵衛



【宝永3年・1706】
1/13 鳥討、石鳥谷は大守金之丞、花巻中通は中野半右衛門、和賀通は
    中野新助
1/14 花巻城代交代、松岡藤右衛門→沢田一郎左衛門(相役宮部図書)
1/17 黒沢尻河岸孫四郎、江戸佐久間丁吉左衛門との金子出入り、江戸
    へ召喚
1/21 八戸藩家老新任につき、花巻管内の境番所7ヶ所(鬼柳、立花、
    更木、浮田、倉沢、田瀬、黒岩)の分、家老判鑑を花巻城代へ送
    る。鬼柳以外は小荷駄のみ通行を認可。
1/28 ・寺林通代官交代、江刺千右衛門→欠端七兵衛
    ・高木通代官交代、伊藤次郎右衛門→奥寺八兵衛
2/4 長沼五郎左衛門、光源院役人を解任され、花巻で出仕。
2/9 花巻城代宮部図書、美濃魚2本持参し戻る
2/18 花巻新堀村で鉄砲窃盗、鳥討大森金之丞押収
2/20 郡山と花巻掫駒役人交代、赤沢儀兵衛→伊藤伝右衛門
2/25 花巻御給人鈴木彦右衛門、南天1本献上を免除
3/9  跡式、花巻御給人松川忠左衛門→清六(100石) 跡式後に平内と
    改名
3/15 藩主に目見え、松川平内(もと清六)と白山寺
3/22 安俵通代官交代、根城太郎左衛門→栃内新五郎左衛門
3/23 殿様(信恩公)、花巻1泊(4月5日江戸着)         
3/26 主税様へ前年暮の合力米300俵(花巻新蔵162駄余)送る
4/14 水沢銅山で手代の盛岡十三日町町人殺害される
5/4 花巻城代、端午の祝儀に干鱈3枚と湯煮蕨5把を献納。
5/26 花巻山伏年行事常学院、自光坊立会い、支配の山伏で不服の山伏
    3人へ牢屋入りを申し付け。
5/27 桜庭十郎右衛門病死、印判・居判を封印し御用箱に納入(6月13日
    制札書直し)
6/2  舟帯船頭で黒沢尻河岸の3人、花巻で4日に成敗の上、黒沢尻で
    獄門の処罰
    (前年4月江戸廻米が石巻で破損した折に藩米窃盗が露見したこと
    による)
6/3 江戸役人秋代、上屋敷末鍵番駒嶺作右衛門→照井与五右衛門(6月
    29日江戸役免除) 
7/3 ・藤根五郎左衛門、惣結を認可される
    ・新渡戸三郎兵衛と岩清水長吉、前年9月ごぜ2名を通行手形不
     所持のまま通行を認めたことから鬼柳番所勤務を解任され遠慮
     の処分、その後の詮議で6月20日遠慮御免
7/7 カタクリ粉、公儀へ前月25日献上される
7/7 鳥討、石鳥谷は大守金之丞、花巻は中野半右衛門、和賀は中野新助
   (9月4日中野新助病気で解任、同半右衛門が2ヶ所を兼任)
7/18 花巻御給人へ、他領の子を養子にすることを厳禁とされる
7/26 大湯八之丞(5月1日欠落)の母、妻、娘計5人への助け扶持支給、
    子へ支給していた切米3駄1人扶持を母へ支給(才一郎の所追放は
    解除せず)
8/4 二子通代官交代、阿野太郎兵衛→八木橋茂左衛門
8/4 松川平内、三戸の同藤四郎へ洗濯物を返送する
8/5 掫駒役に郡山・花巻・柴野・大迫に太田伊介と赤塚弥右衛門
8/30 主税・主計様の知行所を御蔵入りとし、現米支給に切替え
9/3 古切支丹の花巻百姓清兵衛の娘77歳で死去、遺体は塩詰(公儀宗門
    奉行に報告)
9/19 漆の実取奉行、大迫は東野儀兵衛、花巻8代官内は川村覚兵衛と
    池田覚之助を派遣
10/12 目覆奉行、花巻新蔵は葛利兵衛、花巻本蔵は岩間伴右衛門、黒沢
    尻蔵は米倉太郎左衛門を任命
10/13 江戸登諸士遠近帳と雑書役の見習いに野村宇兵衛。照井市平と大
    里十内の3人体制
    (照井が翌春江戸上りまでの暫時)
10/20 ・蔵目付、花巻本蔵は箱崎介左衛門、花巻新蔵は野田左太夫、黒
     沢尻蔵は野村儀太夫を任命
     ・大迫蔵目覆奉行に長沢善左衛門を任命
10/25 花巻と郡山の買米御用に、長嶺治之助と女鹿四郎兵衛を派遣
10/28 成島村六郎右衛門、熟柿25を御袋様に献納
11/2 宗旨改 稗貫郡32112人、和賀郡26899人 
11/19 鬼柳通代官交代、富沢六左衛門→高橋多右衛門
11/23  花巻御給人大湯門介(3駄1人扶持)の婿養子に菊池八右衛門
12/10  忌明の中島源内へ、親万兵衛の2人扶持と切米5駄を支給



【宝永4年・1707】
1/10 黒沢尻物留交代
1/18 花巻町と黒沢尻の俵物改め
1/20 花巻川口町留兵衛、同新町市左衛門へ家屋敷・酒蔵・箒を借金代
    りに譲渡



【宝永4年・1707】
2/5  江戸廻米御用で石巻へ御給人派遣をやめ、勘定頭と部下の派遣に
    切替
2/28 仙台城下大火で仙台本陣類焼
2/9 二子通代官八木橋茂左衛門→大ヶ生庄右衛門、舟帯奉行交代
2/21 花巻両蔵と黒沢尻蔵の荷組役人任命
3・8 古鉄類の他領持出し禁止(仙台城下大火
5/5 殿様、前日花巻一泊(4月23日江戸発)
4/27 他領追放処分中の花巻店屋六兵衛、密かに帰省し、人買いから礼
    金受領により斬罪に対処)
5/23 ・花巻町奉行鴨沢忠右衛門→赤沢義兵衛 ・花巻御用人沢田一郎左
     衛門→高野庄兵衛
5/25 ・御用人で花巻御役の沢田一郎左衛門、老齢により解任、休息を
     命じられる
6/3 公儀へ献上のカタクリ粉、江戸へ送る
6/4 二子通代官大ヶ生庄右衛門→黒川八郎兵衛
7/18 花巻・大迫へ掫駒役人派遣
7/13 和賀川川除普請に役人派遣
8/22 花巻御給人高橋長作、不行跡で身帯没収
9/28 作柄不況に鳥討中止
9/15 大迫漆撹奉行任命
10/5 毛馬内九左衛門、台へ湯治
10/11 大迫代官多田仁右衛門→
10/12 松前志摩守息女、14日花巻一泊(予定)
10/22 家中知行替え、取次中止
11/5 花巻両蔵の奉行・目付任命
11/13 大迫代官松岡武兵衛→江刺家彦太夫
12/8 殿様(信恩)病死(30歳)
12/11 花巻本蔵目付と黒沢尻物留番交代



【宝永5年・1708】 記 事 記 載
1/ 8  花巻金山銅山奉行交代、浅石八郎→工藤権六
閏1/10 黒沢尻物留番交代、下斗米平四郎と中嶋伝右衛門→帷子左助と山
     田太郎兵衛、沢里十兵衛(2人制から3人制)
〃1/11   主馬様相続1/4認可
閏1/21  鳥討、花巻は大守金之尉、和賀は雫石弥右衛門、石鳥谷は中野
     新助
2/ 1  黒沢尻物留番交代、帷子左助→山本嘉藤二 (3月6日小向四郎右衛
    門に交代)
2/ 4  雑書遠近御用の大里十内・野村宇兵衛(御目付所御用兼任)へ合力
    米支給
2/ 6  三田源右衛門名跡、煤孫村源助(病死、実は嘉兵衛子)→同吉六
   (16歳)
2/10 花巻御給人松川平内、江戸番人の指令 (4月6日江戸へ出発)
3/ 3  安俵通代官交代、栃内新五郎→鴨沢兵左衛門(5月1日鴨沢氏病気辞
    任、山屋勘左衛門と交換)
4/25 仙台境駒ケ嶽御堂(前年9/13大風で大破)、建立の必要性を花巻役
    人内申し、許可
5/ 6 ・江戸代官丁普請手伝に、佐藤友右衛門・新渡部三郎兵衛・門屋助
     右衛門・中島権四郎・佐々木平蔵ら派遣
     ・八幡通代官交代、中沢民右衛門→藤根清右衛門
5/ 6 ・万丁目代官交代、和井内甚平→中川原判平
5/17  花巻で昼休みされた八戸藩主右近様、水沢から再び花巻に戻る
5/21 江戸代官丁普請手伝の御用金、100石につき1両の献上を指令
6/12  鬼柳代官交代、永山忠右衛門→沖弥市右衛門
7/ 4  跡式、一方井庄太郎→子嘉助(25駄) 四戸平兵衛→子黒作(65石)、
    二ケ村甚右衛門→子文次郎(100石)
7/ 7  鳥討、石巻は大守金之丞、花巻は中野新助、和賀は雫石弥右衛門
7/19  せり駒改に、花巻へ八木沢源太と福田嘉兵衛、郡山と大迫へ池田杢
    太夫と石亀十右衛門を派遣
7/20  舟帯(ひらた)奉行交代、大沢甚右衛門→金田一久左衛門
8/13  二子代官交代、黒川八郎兵衛→高橋与四郎
9/24  藩御蔵へ米上納につき、御蔵目付と目覆奉行派遣
10/ 1  跡式、永井利左衛門→子利兵衛(15駄)、戸田喜左衛門→子忠兵衛
    (10駄2人扶持)
10/16  跡式、小森林与五左衛門→子吉右衛門
12/14 大工棟梁美松儀右衛門婿養子に、伊藤宇伝次



【宝永6年・1709】 記 事 記 載
1/ 8  霊巌院(信恩公)法事で、一方井武郎(同庄太郎次男)と大湯一郎
    (同才五郎嫡子)追放赦免
1/10  鳥討、花巻城廻は中野新助.石鳥谷は大守金之丞、和賀は雫石弥
    右衛門
1/17  将軍綱吉公、1/10死去
1/19  改名、松川平内→勝右衛門(江戸で)
3/ 5  改名、宮守平馬→五郎右衛門
3/19  寺林通代官交代、石井与五郎→遠藤惣三郎
3/28  花巻新蔵奉行交代、根城又兵衛→鈴木弥五右衛門
4/ 4  綱吉公葬儀による大赦で松川藤四郎御預御免、(但し三戸代官所
    以外の外出禁止)、藤四郎子ども2人(松川忠左衛門預り)も赦免
4/13  跡式、岩清水長吉→子長介(89石)、梅木介左衛門→子専右衛門
    (10駄)
4/14  公儀法事大赦、高橋長作勘気御免(但し閉伊通以外の外出禁止)、
    一明院牢舎御免
4/29  安俵通代官交代、山屋勘左衛門→佐久間民右衛門
5/11  跡式、松川勝右衛門→子孫三郎
6/ 1  殿様、江戸より盛岡着(初入部)
6/ 6  花巻の簡作十郎(与力甚衛門子)、藩主に盛岡城で目見え
6/12 ・新田普請奉行交代、葛西庄兵衛→竹田三郎(江戸より下り、禄は
     花巻で32人扶持支給)
6/12 ・信楽寺隠居し、長谷寺堯栄が後住となる
    ・照井源右衛門の名跡を宮守清次郎、継承(7月28日盛岡城で目見
     え)
    ・跡式、花巻勘定方の岡市郎右衛門→子の六右衛門(7月28日盛岡城
     で目見え)
6/15  盛岡城中丸で月次のお礼、継目の松川孫三郎、岩清水長助、四戸黒
    作、一方井嘉助、永井利兵衛、戸田忠兵衛、梅木助左衛門、小守林
    吉右衛門、花巻から移住の岩間藤助、雫石千松(同弥右衛門子)
6/28  月次のお礼、花巻御役医村岡的庵(古川寿楽弟子)目見え
7/ 2  花巻郡代交代、宮部図書(病気)→野々村宇右衛門
7/ 3 ・解任、舟帯奉行の金田一久左衛門、大迫代官の葛西市右衛門、
     黒沢尻代官の小山田善左衛門、安俵代官の伊藤一郎兵衛、寺林
     代官の遠藤惣右衛門、黒沢尻蔵奉行の柴内作右衛門、大迫蔵奉行
     の大釜彦右衛門。
    ・盛岡城三階鯱棟上げ挙行
7/ 7  鳥討、石鳥谷は中野新助、花巻へ大森金丞、和賀は雫石弥右衛門
7/10 ・花巻新蔵奉行交代、江刺家平吉→山口新助
    ・黒沢尻蔵奉行交代、柴内作右衛門→斗ケ沢長三郎
7/12 ・花巻新蔵奉行の鈴木弥右衛門、解任
    ・花巻本蔵奉行の亀守市郎右衛門、解任
    ・花巻町奉行赤沢義兵衛、解任(本人11月1日借物奉行に就任)
    ・与力で御物書の沢田喜平、江戸へ2度上り、良好な勤務により
     与力御免となり花巻支配から除く
    ・跡式、松川勝右衛門→子の孫三郎(7歳)、但し伯父の条助(30歳)
     が番代となる
7/13 ・大迫代官交代、葛西市右衛門→小田嶋源右衛門
    ・安俵代官交代、佐久間民衛門→高田小平
    ・黒沢尻代官交代、小山田善左衛門→中嶋伝右衛門
    ・寺林代官交代、遠藤惣右衛門→永田善左衛門
7/13 ・舟帯奉行交代、金田一久左衛門→立花儀右衛門
    ・大迫蔵奉行交代、大釜彦衛門→山元文左衛門
7/17 ・安俵通代官交代、伊藤市郎兵衛→中館清左衛門
7/18  松川藤四郎子二人の花巻より外出認可、藤四郎も三戸からの外出
    認可となる
7/22 高木通代官交代、奥寺八兵衛→小田代又右衛門
7/23  黒沢尻物留交代、富田柵野衛門→村瀬又右衛門
7 /2  カタクリ粉1箇(三升入)と鶉、藩主初入部の報告に公儀へ献上
7/26  花巻郡代野々村宇右衛門、藩主に目見えし、御紋上下を下賜
8/ 1  花巻郡代高野庄兵衛、鱸三本ほか献納
8/ 4 ・花巻相場米蔵奉行の玉山久左衛門と上田市兵衛、解任
    ・鬼柳代官に神山彦右衛門、就任
8/ 4 ・二子通代官に佐藤友右衛門、就任
    ・寺林通代官に平賀市郎右衛門、就任
8/ 6  万丁目通代官交代、新渡戸九助→中野金右衛門
8/ 8 ・花巻相場米蔵奉行に櫛引十兵衛と中野七右衛門を任命(8/4と関
     連)
   ・改名、中館清左衛門→治左衛門
8/ 9 ・改名、花巻郡代野々村宇右衛門子の舎人→直右衛門
    ・遠野の番所、鮎買と遊井名田、赤羽根の3箇所、50石から100
     石の諸士勤務→病人番と幼少番勤務に戻す
8/10 ・八幡通代官に太田平右衛門、就任
     ・遊井名田番所に高野庄四郎就任(原田清太夫相手)
8/14  黒沢尻代官、中嶋伝右衛門→鈴木伝右衛門(花巻古人奉行兼任)
8/20  検見役人の派遣
8/21 ・花巻御給人の正月目見えは郡代附添で2日と6日に盛岡へ参上。
     花巻郡代の月次お礼、出席不要
8/23 ・改名、上田市兵衛→同十兵衛  ・盛岡御給人折居右衛門七、祖父
     折居嘉兵衛に家に滞留、許可



【宝永6年・1709】 記 事 記 載
8/30  花巻定目改、郡代に渡す
9/ 3 ・花巻本蔵目付に上山伊兵衛就任
    ・花巻新蔵目付に鈴木次郎右衛門就任
    ・黒沢尻蔵目付に野村左達就任、
    ・大迫蔵目付に石川門之丞就任
9/ 6  改名、花巻御給人清水忠兵衛→甚之丞
9/16 花輪の土深井番所へ通知、花輪藩境を往来する山師の台所荷物は
    山奉行手判で通行認可
9/17 花巻で八戸藩足軽、江戸に飛脚で向かう途中病気、花巻町奉行の
    報告
10/ 6 ・久慈喜右衛門、花巻移住、3ケ年の休暇下賜
10/ 6 ・名跡、絵師金右衛門→子の子々松(2人扶持)
10/ 7 ・松川藤四郎に4人扶持支給(10月8日花巻御給人となる)
    ・八幡通宮野目出身の陸尺、9月25日より行方不明
10/15 ・花巻郡代野々村宇右衛門、百合草1折と干鯛1台持参し戻る
     (郡代交代で盛岡城へあいさつ)
     ・弓鉄砲組足軽へ、藩主武芸上覧のため稽古の指令
10/20 鹿角の折壁番所、花輪御給人又重庄三郎辞任により、三戸御給人
    の輪番制
10/22  大迫町中町で火事(10月20日夜、18軒焼失)
10/25  八幡通代官交代、藤根清右衛門→永山忠右衛門
11/ 1  金矢与一兵衛、湯治より戻り、照井沼つぶ1鉢献納
11/ 4 ・跡式、小野寺孫左衛門→子長吉(2人扶持)
     ・聖寿寺参詣の藩主に大迫通亀ケ森村の村田屋三十郎直訴
11/20  公儀より巡見使派遣の通知
11/28  花巻新蔵目付交代、上山伊兵衛(母の看病)→浜田半左衛門
11/30 ・小川市三郎、江戸に上り狩野休山弟子、江戸滞在中の手当に四
     季施2両支給
11/30 ・鳥討の大守金之丞へ、2人扶持支給
12/ 4 大工奉行交代、松田六右衛門→大沢甚右衛門
12/ 7  公儀馬買前日花巻着
12/10  改名、人首喜右衛門→人首喜左衛門
12/11 ・長嶺藤助、花巻の中嶋権四郎方へ引越し
12/11 ・阿部安左衛門、花巻御給人藤根五郎左衛門次男の安之丞を婿養
     子
12/15  盛岡城にて月次御礼、松川藤四郎と大守金之尉、松川条助(同孫
    三郎名代)



【宝永7年・1710】 記 事 記 載
1/ 1  藩主に年始の目見え、上段の間に寿老人三幅対を飾る
1/13 ・黒沢尻物留交代、舟越与兵衛と村瀬又右衛門、本馬孫九郎→毛馬
     内権七と設楽武右衛門・工藤権太夫・鳥討、花巻城廻は雫石弥右
     衛門、石鳥谷は中野半右衛門、和賀は中野新六 ・本蔵の人首喜
     右衛門、新蔵の昆喜右衛門らに褒美米6駄ずつ下賜・寺林の平賀
     一郎右衛門と永田善左衛門、鬼柳の沖弥一右衛門と神山彦右衛
     門、二子の高橋与四郎と佐藤友右衛門、黒沢尻の宮手茂右衛鈴木
     伝右衛門、大迫の小田嶋源右衛門と江刺家彦太夫、高木の村角安
    右衛門と小田代又右衛門、万丁目の中河原原判平と中野七兵衛ら
     に前年年貢物成皆済で満足の旨申渡す
1/20 ・一代官二制人から一代官一人制に削減
    ・八幡寺林代官に長牛弥四郎と中野金右衛門
    ・万丁目二子代官に昆喜右衛門と伊藤二郎右衛門
    ・安俵高木代官に宮手茂兵衛と小田代又右衛門
    ・黒沢尻鬼柳代官に岩館甚右衛門と鈴木伝右衛門
1/20 ・花巻本蔵奉行に桐田清六(中島権四郎代)と長坂十太夫、中嶋藤三
     郎(2人から3人)
    ・花巻新蔵奉行に亀ケ守久右衛門と神山義右衛門
    ・黒沢尻蔵奉行に戸ケ沢七三郎と奥寺八兵衛、宮治兵衛(2人から
     3人)
    ・田名部添役人、大畑は佐藤友右衛門
1/23  川舟帯奉行立花義右衛門と佐藤八郎右衛門解任
1/24  藤庄五郎新規召出(2人扶持)先年目見えし庄三郎番代をつとめた
1/25  万丁目通大沢村山神堂の建立、別当三十郎、境内の杉一本伐採認可
1/28  黒沢尻蔵奉行(川舟帯奉行兼任)に四戸黒作を任命(なお蔵奉行三人
    相役)
2/ 7  盛岡新蔵奉行交代、昆喜七郎→小山田文右衛門
2/15  花巻御医者村岡的庵、花巻では医書稽古不自由なため、盛岡の師匠
    古河寿楽に付添い医道稽古(但盛岡支配は不可)
2/16 ・御巡見仮屋普請奉行、土沢、花巻、鬼柳、岩崎の四ケ所に御者頭
    下条図書を任命
    ・花巻ほか御巡見通道橋普請に上田多太夫を任命
2/18  寺林通光林寺再興の材木、城代より申請を認可



【宝永7年・1710】 記 事 記 載
2/21 高野庄兵衛、内丸居宅から引越し  
2/27  苗字改の制限
2/28 ・御中丸で花巻御給人伊藤庄五郎目見え(1月24日関連)
    ・鬼柳通堀切村で他領への開道にて、隠目付2/25小荷駄押収、同
     通惣馬定役人四戸四郎左衛門を命じ、隠目付へ下賜
3/ 6  野々村宇右衛門、鱒二本持参し花巻から戻る
3/29  花巻の江刺家平吉、御蔵奉行勤務中不埒により閉門の処分(4月3日
    兄菊池八右衛門同行し、花巻から盛岡に移る)
4/ 3 ・根城又兵衛、花巻蔵勘定の不埒により桜庭与十郎へ預けられる
    ・江刺家平吉、同右により毛馬内彦右衛門へ預け
4/12  跡式、花巻御給人奥寺孫兵衛→子孫太夫(4月28日月次お礼)
4/13 表具師五郎兵衛、絵書御用と表具師御用兼任、小笠原与兵衛の指南
    を受け、御側に召さる場合もあることから剃髪を命じられる(5月
    24日森休印と名改)
4/27  大迫代官交代、小田嶋源右衛門→多田仁右衛門
5/14  高野庄兵衛、花巻から川鱒二本持参し戻る
5/18 ・改名、花巻御給人中野七右衛門→同七郎右衛門
    ・花巻本蔵奉行交代、長坂十太夫→中野七郎右衛門
5/28  花巻御給人二ケ村文次郎、5月1日花巻の伊藤一郎兵衛所へ参ると
    いい行方不明、身帯(100石)没収
6/ 4  中丸上段之間で参勤お礼、継目の高浜友右衛門
6/ 6  江刺舎人宅にて賢固、黒沢尻物留の葛西半右衛門出席
6/12  馬場清兵衛婿養子に苫米地喜之助(同長左衛門弟)
6/19  殿様盛岡発、花巻一泊(7/2江戸着)
7/ 7  鳥討、石鳥谷通中野半右衛門、花巻通は中野新介、和賀通は雫石
    弥右衛門
7/26  巡見使、前日大迫一泊(同28日花巻一泊)
7/28  信恩、蜂頂賀家と結納、祝いに狩野休山と狩野松休参上
8/17 ・八幡通代官交代、長牛弥師四郎兵衛→黒川八郎兵衛
    ・黒沢尻蔵奉行(舟帯奉行兼任)交代、四戸黒作、戸ケ沢七三郎→
     櫛引十兵衛
    ・花巻本蔵奉行長坂十太夫・中嶋藤三郎→中野七右衛門
    ・同相場米蔵奉行、中野七右衛門→蛇口六郎左衛門
    ・花巻新蔵奉行に神山義右衛門、亀ケ森久右衛門
閏8/10・跡式、花巻御給人佐々木弥内→子弥七郎
    ・花巻御給人田頭太左衛門婿養子に、岩間作内(同左市右衛門弟)
9/24  跡式、花巻御給人田頭太郎左衛門→養子の作内
9/26  二子通太田村清水観音別当太宝院、手作地(8石)社領として寄進
    (10月3日寄進状交付)
10/11  安俵通城嶋村六郎右衛門、熟柿30献納
10/13  花巻御給人中嶋権四郎へ江刺ケ半吉家屋敷を給付
10/15  八戸勘解由、南彦八郎、八戸九太夫、下田権兵衛、下田覚左衛門
    に九曜紋付古着の着用を認可
10/24 宗旨改、和賀郡21,926人、稗貫郡28,074人
11/21  跡式、四戸庄助→子庄左衛門
12/14 ・跡式、中野半右衛門→同新六
    ・主税様へ、花巻新蔵から米1250駄支給、主計様へ花巻本蔵から
     750駄
12/25  花巻の野々村宇右衛門と高野庄兵衛から鮭披3枚、干蕨10把、
    串柿10連お歳暮
最終更新日: 2014年04月15日
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