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2014年6月13日 の記録
阿部 生朗さん 【大迫地区】
投稿者:ふるさと 管理1
カテゴリー: 土地の人に聞け
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昭和10年生まれ。大迫の町中で近江商人の流れを汲む商店を営んでいました。



大迫の特産

 大迫には専売公社があったんです。東北全部を治めている専売公社があったんです。うちの爺さんは専売公社に勤めていたんです。退職金でこの辺の地所を買ったって言ってました。それで商店をはじめたの。自家用車もありましたよ。その当時三百円で買ったの。日詰のおじさんに金借りて買ったって言ってました。

 昔は今の道路ではなくて、遠野街道がこう曲がってあったんです。川原町のお寺の後ろを通って。この道もあることはあったでしょうけど、遠野街道とは言わなかったの。柳橋ってありますよね、この大橋、あの上を渡ってきたらしいですよ、遠野街道は。その寺小路には、蚕さんですか、織姫が300人ぐらいいたらしいです。

 大迫の特産は蚕さんとか、馬とか、それからなんだ、タバコとか。それこそ日本でも早いんですよね。釜石から入ってきたって話もあるけど。それで専売公社があったわけです。東北6県のタバコをここで、大迫で監督してたんです。だから役人は大迫からみんな出張で、青森だ福島だって、あっちの方まで行くらしいですよ。だからほら、宮沢賢治の「風の又三郎」(映画)に鳥長根の畑を撮影したんですよ。タバコ畑ね。あっちは日当たりが良くていいんですよ。タバコ畑がうんとあったんです。片山明彦だったがな、当時の子役、それが又三郎の役やったんですよね。

 タバコの葉っぱ一枚かっぱらっても、あれ専売ですからね、罪になったんですよ。だから私らも手も触れないでした。だからね暮れになるとタバコおさめでしょ。そして代金は前払いもきいたんですよ。米みたいに。百姓やってる人達はタバコ代入ったらということで、商店で買い物。うちだってそうじゃないですか。親父や爺様やってた時はどんぶり勘定で売って、回収できないのがいっぱいあったんだ。タバコ代入ったら払いますっていうことで、米でも洋服でも呉服でも何でも。

 タバコ収めるのは、ベゴそりとか、馬そりで引っ張って、それか肩にのせて、馬あるところは馬に引っ張らせて、そりにダーッと山に積んでね。専売公社に行ってタバコ検査してね。米とおんなじで一等とか二等とかね。値段違ってくるんだものね。南部葉っていうのは、大迫でしかなかったんですよね。南部葉っていうのは大きいんですよ、こんなに。雨降るとちょうど傘になっていいんですよ。あれは葉巻用だ。今でも種っこは残してあるはずです。インドとかねあっちの方に輸出していたみたいですよ。昔は刻んで巻く紙があったもんですよね。あとはキセルに詰めて吸ってましたよね。うちの親父も酒は飲むしタバコは吸うし、そのうち朝日に替わりましたけどね。

 一年に一回かな、競りがあるでしょ。大迫は大体3日間。馬の競り。3日間で大体500頭ですね。盛岡、遠野は1500頭ぐらいでしょ。1週間ぐらいやってだった。私らも学校サボって見に行ったものですよ。競りで、掛け声で値段あがるんだものね。はいはいって。全国から馬喰さんが集まるんだものね。金を胴巻きさ入れておいてね、競りを始めるんですよ。売れた馬はもう石鳥谷駅まで連れていくんです。飼い葉もってね。そして石鳥谷から貨車で全国さ連れてくわけだ。九州から、北海道から来るんだものね。大体多い時で500頭だっけな。3日間ぐらいだよ。岩手県は馬産地だから。農耕馬だね。


賢治の泊まった宿

 宮沢賢治が泊まった旅館は、石川旅館って、もちろん今はなくなっちゃったけどね。泊まりがけで、今で言えば地質調査でしょうね。白岩まで行ってるらしいですよ。毎日歩いて行ったって。あそこまで、大体15キロはあるね、片道。毎日歩いて通ったって言うからね。交流センターに宮沢賢治が使ったお膳こなんかあったでしょ。


早池峰山

 今地図でこれ、稗貫川になってますよね。早池峰山まで。私らは岳川って言ったんです。ここで合流してから稗貫川になるんです。そして八重畑通って北上に行くのが稗貫川。だから直せって言う人もいるんだ。こっちは岳川だって。
ここから岳までは何キロかな。20キロ、いや18キロかな。朝ここを出て、夕方岳に着いて、岳の部落さ着いて、そこに米を出して、握り飯にぎってもらって、夜中の11時頃に早池峰神社を拝んで、そして登山するんです。ツーことは、御来光、御来光を拝みに行ったんです。アイオン台風でみんな沢崩れたでしょ。道路がなくなっちゃったのよ。どうにか御来光は拝んできたけど、あそこの道路がなかったのよ。


川の水

 あっちの方は大又分校ってあったのよ。小学校。でも川のそばで流されて、高台に建て替えたんですよ。そのくらい水が出たんですよ。だから、川広げた時ケヤキの木が川沿いにザーとあったんですよ。それを川広げるために、ケヤキの根っこは発破で飛ばして、今でもなんぼか残ってるでしょ。ケヤキの並木が。うちの親父も良く言ってたんですけどね、昔このケヤキの木に猿が群れなして来たって。

 うちの隣も堰だったんだもの。向かいの爺さんもよく釣りしたそうです。川の水がそのまま流れてきて、水の量もけっこうあって、子供らよく流されたもんです。「おーい、行ったぞ」と言って、そうすると下の方に走って行って、水の上の橋板をはがして、子どもを引っ張りあげるんです。この堰でおしめ洗ったり、大根洗ったり、何でも洗ったの。水道がないんだもの。だから風呂沸かすったら事件ですよね。天秤で10回以上汲んでこなきゃないもの。


怖い話

 昔は便所は外にあったでしょ。便所に行くとお尻を冷たい手で撫でられるっていうんだっけ。今はずいぶんあったかくなったけど、昔は寒かったからね。この辺でもマイナス18度ぐらいにはなったからね。それで昔の便所は寒いと凍って真ん中がどんどん盛り上がってくるでしょ。夜中に便所行ってしゃがむとケツがあたってつめてはずなのさ。それが撫でられるって、怪談になったのさ。


戦時中

 小学校の頃は勉強もしないで、毎日出征兵士を送り出していました。毎日でした。多い時は一日三組位あったがらね。専売公社からバスに乗って石鳥谷まで行くんだよね。頭悪い上に勉強しないから、ますます悪くなったんだね。グラマンが釜石から入ってきて、ここでユータンして釜石に艦砲射撃するんだもの。乗ってる人が見えるんだもの。あとは教科書開いて、何ページの何行から何行まで墨で塗って、よくドラマなんかであるでしょ。しまいには読むところなぐなってしまうのさ。だから頭良くなるわけねじゃ。勉強じゃなくて、明日は鍬持ってきてください。明日はロープ持って来てください。毎日だもの。明日は出生兵士の家のお手伝いです。


祭り

 昔は大迫の祭りといえば、遠野あたりからも来たんだものね。獅子踊とか。現金収入ですよね。お花代もらうんだもの。各家回って歩いたりしてね。大迫は二回お祭りあるんだ。行燈祭りと秋祭りと。秋祭りっていうのは愛宕さんのお祭り。昔は8月だったみたいだけど、お祭りやるのに、米取れるかどうかわからないというので、9月にずらしたの。24日だったけど、23日にしたの。旗日にぶつけでしまったの。大迫の場合は郷土芸能はコミセンでやるんです。神楽とかさんさ踊りとか。


神楽

 最近ですよね、神楽もあっちこっちでやるようになってね。神楽もいいけど、今、踊りに大差がなくなってるんだよね。何でだかと言うとみんなビデオに取ってそれ見て練習するから、みんなおんなじになってる。特徴がなくなってる。どこでも上手だ。やっぱりね、東和だと石鳩神楽とか、土沢神楽は別格なんだものね。大迫はまず、岳と大償は別格だ。いまじゃ、達曽部で湧き水神楽を立派にやってるっけ。それから遠野のあの人もビデオで撮ってって、上手にやってるっけ、神楽を。前は踊る人が行って教えなきゃダメだったけどね。


取材 浅沼 高橋
最終更新日: 2020年02月27日
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