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2011年9月12日 の記録
浅沼 利一郎さん【外川目地区】
投稿者:ふるさと 遺産研究所 伊藤
カテゴリー:
土地の人に聞け
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年齢は71歳(平成23年9月12日取材当時)。大迫町にある「早池峰と賢治の展示館」の館長をしています。10代の頃から早池峰山に登り始め、2010年には早池峰登山3000回を達成しました。
宮沢賢治の童話『風の又三郎』の原風景
『風の又三郎』に出てくる、水がゴボゴボと出ているところ、それは旭ノ又(ひのまた)小学校の近くの上沢(かみさわ)というところ。旭ノ又に行くと上沢の集落の道路のどんづまりのところに、今は水道の取入口になっているんですよ。おれが行った時は土手から湧いていた。そこの下に昔の土側溝、ただ掘っただけの側溝。おれは旭ノ又小学校は、風の又三郎の学校だと今言っているが、花巻の人たちにくられている(怒られている)(笑)。
やっぱり『風の又三郎』で一番大事なのはタバコなんだ(※)。(宮沢賢治研究家の)先生たちは(全国的にある)タバコの葉っぱと勘違いしているんだよね。9月に収穫するタバコなんてのは大迫の南部葉しかないんです。それ以外は8月中に収穫する。JTたばこ産業でも来て、びっくりしてったわけさ。
※又三郎がたばこ畑でたばこの葉をむしってしまい、他の子どもたちがその行動を非難する場面がある。『風の又三郎』の物語の舞台となった場所については様々な説があるが、九月上旬の出来事が綴られた物語の中で、まだ収穫が終わっていないたばこ畑が出てくることは、大迫が物語の舞台であったことの大きな根拠となる。(2015.12.5加筆)
賢治とダルトン教育
大正12年2月20日に宮沢賢治が菅原隆太郎さん(※)の授業を見に来ている。小原國芳先生という玉川大学をつくったダルトン教育をやった先生が3回くらい来ている。菅原先生とダルトン教育の話をかなりしている。菅原先生が「私のお慕い申し上げる人」と(賢治のことを)言っているんですね。賢治さんがすごい人と分かっていたんですね。
大正11年、12年の岩手日報を調べてみるといい。岩手県の山奥の大迫の学校でダルトン教育を始めると、かなり新聞に出ている。日本でも最初。作文を主体として、子供たちから発言をさせるために演劇をさせるんですね。
[小原國芳氏が書いたダルトン教育の本『日本の新学校』を出し、大迫尋常高等小学校についての記述があることを説明。]
畑で野菜とかを植えて、それを売って……購買部をつくっている。すげぇがっけよ。それを学校で実践した。これね。びっくりしますよ。本当はこれが教育の基本なんだよな。賢治の羅須地人協会より、全然こっちが早い。
賢治さんが大正11、12年頃に作品が変わったといわれている。ほとんどの先生が妹トシが亡くなったことで変わったと言っているが、おれとすれば、ダルトン教育が賢治さんにかなりの(影響を与えた)。賢治さんが農学校の先生やって2年目なんですよ。農学校の先生をやって2年4カ月実践したんです。ところが、当時の文部省かなんかが、日本が戦争さ入っていくから、自由教育なんかはまずいということで。これ(『日本の新学校』)を読めば分かります。
※ 菅原隆太郎
大迫町生まれ。大迫小学校の校長をしていた時に、生徒の自主性を尊重する教育指導法であるダルトン・プランを実践した。
早池峰と賢治
ここ2、3年前まで早池峰と賢治なんて誰も言わなかった。早池峰は早池峰、賢治は賢治だったんですね。明けておととしかな。NHKのBSで「日本巡礼」の中に早池峰山と賢治というのをやった。5分か10分くらいの映像だったんだけど、それからだおね。早池峰と賢治を地方でなくて、中央で結びつけてきた。
大正7年から14年までの晩年に書かかれた作品は、ほとんど紹介されていない。(研究家の)先生たちが(この期間の作品を調べに)来ていない。どこの作品か分からない。皆さんが知っている賢治作品は、盛岡と小岩井と雫石が賢治のすべてだと思っている。賢治さんは早池峰にどんどん来ている。
早池峰登山の今昔
(昔は)女の人が早池峰に登るっていうのはダメだったみたいですね。入山券づのがあったんです。神社に納めて登っていく。内川目村と附馬牛(つきもうし)村、川井村だったえかな、入山券に「女性は入れない」と書いていた。裾野は歩けたそうです。岳(たけ)の道路は歩けた。山には入れないけれど。早池峰山の手前、鶏頭山は女性は登れたようです。早池峰だけはだめ。詳しく調べるには川井の人が書いた早池峰の本に書いていたはず。入山券の写真も撮ってあったと思う。
昔の登山はご来光を拝むために夜に登っていたからね。おれのおかあちゃんの実家のお爺さんが十年位前、七十なんぼで亡くなるとき、そのとき言ってたが、「おめは早池峰山さ何回も登っていいな。おれは3回登ったけど御山(おやま)に迎えられなかった」と。迎えられたというのは、ご来光を拝めたことなんですよ。おれは3回行ったけども、ご来光に遭ったことがねがった。そいつだけはなと。その辺の年代の方は悔しがったんだな。ここら辺も町の人たちも、夜が明けるか明けないうちに、まず早池峰に向かって拝礼した。それから氏神様、神棚を拝むというかたちだったようですね。
山の花と登山者の今昔
確かにご来光はきれいだけども、花が咲き乱れる、昔みたいに群生地にわんと盛り上がるような感じが、(今は)山そのものにもないね。昔は、よく詩に書いている「山が燃える」っていうんだえか、ああいう風な表現が今の山にはないんだ。
早池峰の場合は一カ月くらいのサイクルで、白い花が終わったら黄色い花が咲いて、黄色い花が咲いていると思ったら、白いウスユキソウの花が咲いて、それが終わると紫の黒っぽい花が咲いて……。早池峰は一カ月一カ月ごとに見事にきれいに咲いていたが。そういう風なのが、今はあんまり見なくなってきたね。
人が来ないのに、山が荒れているっていうのは、今の人たちが山の歩き方を分からねから、がらがら歩くので壊れていくのは当然ですよ……。昔の人たちの登山は山を歩かせてもらったという、こんな綺麗なところを歩かせてもらってありがたいな、というのが頭の一番最初にある。こんなこと言っていいのかわがねけど、今の人たちはそんなことはひとつもない。一時間、二時間で登れる山だから行ってみるか、花が咲いたから行ってみるか。だから歩き方一つでも、昔の方々は何のために山に行くか、(山に)迎えられる(という考え方)。今は感謝の気持ちがない。
天然の無常と宮沢賢治
震災はそういうふうなことを気づかせることですね。哲学者の寺田虎彦さんが「天然の無常」と書いてたが、あの言葉は、これは今までおれたちも知らなかった言葉で。賢治は言っているんだけど、みんなに生かされていると。これからは言葉だけでなく、生かされていると、3・11あいだにして変わったと思います。
(〈聞き手・鹿川〉:天然の無常、賢治の童話の最後に笑う……たとえば、『なめとこ山の熊』の最後に……。『よだかの星』でも、少し笑ったように……あの笑いが無常観のぬけた結果だと思う。無常観はマイナス思考と考えがちだが、ポジティブに考えるのが賢治の回答じゃないかな。マイナスに考えない。次のステージ、ステップ。再生だもんね。無常観を超えたところに賢治がある。)
だから今、賢治なんですおね。花巻で賢治のまちづくりしているが、本当に賢治は賢治の作品そのままなんですよ。それを何か変にアレンジしたりして。だから合わないんですね。
(〈聞き手・鹿川〉:自分たちの生活と遊離した感じになるもんね。賢治は別物で、遊んでないし、生活に密着していない。町の名前を変えただけにすぎないよね。星の名前を付けてさ。)
岳神楽の精神 早池峰山の信仰
見た人に感動を与える岳神楽の精神は、根本的に伝承ではないということ。三代前の小国誠吉さんがマスコミに早池峰神楽がどんどん出たことがあるんですね。そのとき、やたらに“伝承”という言葉が流行ったことがある。それが大嫌いでね。「俺たちは生きるために、十何軒を守るために神楽をやってきた。伝承じゃなく生きるために神楽をやってきた。安易に伝承とか言ってほしくない。」...岳神楽が見た人に感動を与えるというのはそこなんです。そういう感覚で神楽をやっているんだ。今はどこでも昔の神楽を復活するよとやっているけども、あれは全く真似なんですね。なんでかっていうと、神楽は二軒四方で踊るのが神楽であって、今学校の講堂とかでやっている。あれは神楽ではないですね。
小国誠吉さんも言っているが、おれの代はこうだったからと言うのが、往々にしてあるわけですよ。ですから、やっぱりそのものを継続する。だから岳神楽は長男坊にしか教えられない。次男坊、三男坊には教えない。なぜそういうことになったかといえば、次男坊がお婿さんに行って踊れば違ってくる。今でもおれたちは四面に入れば、おれではない。神様になりきって無我の境地だと。それが本当だと思う。
岳にはそういう風なものが残っているし、早池峰山そのものも、なんかそういう風なかたちに、はっと気づくような、今までと違ったものが見えてくればいいなと思っているんだけど。早池峰山をもっと……なんか上手くは言えないけれど。守るというよりも、なんというんだえな……。なかなか分からないね。
おれは山に行くと体の調子が良くなるんだよね。早池峰山が生きた何億年と違って、おれたちなんかは瞬きにもならないが。この震災で変わるんじゃないかな……。賢治さんの世界だと思う。研究者の賢治じゃなくて、本物の賢治さんだ。それをもっと花巻の人が声を出してほしい。
【取材担当】鹿川・堀岡・佐々木
宮沢賢治の童話『風の又三郎』の原風景
『風の又三郎』に出てくる、水がゴボゴボと出ているところ、それは旭ノ又(ひのまた)小学校の近くの上沢(かみさわ)というところ。旭ノ又に行くと上沢の集落の道路のどんづまりのところに、今は水道の取入口になっているんですよ。おれが行った時は土手から湧いていた。そこの下に昔の土側溝、ただ掘っただけの側溝。おれは旭ノ又小学校は、風の又三郎の学校だと今言っているが、花巻の人たちにくられている(怒られている)(笑)。
やっぱり『風の又三郎』で一番大事なのはタバコなんだ(※)。(宮沢賢治研究家の)先生たちは(全国的にある)タバコの葉っぱと勘違いしているんだよね。9月に収穫するタバコなんてのは大迫の南部葉しかないんです。それ以外は8月中に収穫する。JTたばこ産業でも来て、びっくりしてったわけさ。
※又三郎がたばこ畑でたばこの葉をむしってしまい、他の子どもたちがその行動を非難する場面がある。『風の又三郎』の物語の舞台となった場所については様々な説があるが、九月上旬の出来事が綴られた物語の中で、まだ収穫が終わっていないたばこ畑が出てくることは、大迫が物語の舞台であったことの大きな根拠となる。(2015.12.5加筆)
賢治とダルトン教育
大正12年2月20日に宮沢賢治が菅原隆太郎さん(※)の授業を見に来ている。小原國芳先生という玉川大学をつくったダルトン教育をやった先生が3回くらい来ている。菅原先生とダルトン教育の話をかなりしている。菅原先生が「私のお慕い申し上げる人」と(賢治のことを)言っているんですね。賢治さんがすごい人と分かっていたんですね。
大正11年、12年の岩手日報を調べてみるといい。岩手県の山奥の大迫の学校でダルトン教育を始めると、かなり新聞に出ている。日本でも最初。作文を主体として、子供たちから発言をさせるために演劇をさせるんですね。
[小原國芳氏が書いたダルトン教育の本『日本の新学校』を出し、大迫尋常高等小学校についての記述があることを説明。]
畑で野菜とかを植えて、それを売って……購買部をつくっている。すげぇがっけよ。それを学校で実践した。これね。びっくりしますよ。本当はこれが教育の基本なんだよな。賢治の羅須地人協会より、全然こっちが早い。
賢治さんが大正11、12年頃に作品が変わったといわれている。ほとんどの先生が妹トシが亡くなったことで変わったと言っているが、おれとすれば、ダルトン教育が賢治さんにかなりの(影響を与えた)。賢治さんが農学校の先生やって2年目なんですよ。農学校の先生をやって2年4カ月実践したんです。ところが、当時の文部省かなんかが、日本が戦争さ入っていくから、自由教育なんかはまずいということで。これ(『日本の新学校』)を読めば分かります。
※ 菅原隆太郎
大迫町生まれ。大迫小学校の校長をしていた時に、生徒の自主性を尊重する教育指導法であるダルトン・プランを実践した。
早池峰と賢治
ここ2、3年前まで早池峰と賢治なんて誰も言わなかった。早池峰は早池峰、賢治は賢治だったんですね。明けておととしかな。NHKのBSで「日本巡礼」の中に早池峰山と賢治というのをやった。5分か10分くらいの映像だったんだけど、それからだおね。早池峰と賢治を地方でなくて、中央で結びつけてきた。
大正7年から14年までの晩年に書かかれた作品は、ほとんど紹介されていない。(研究家の)先生たちが(この期間の作品を調べに)来ていない。どこの作品か分からない。皆さんが知っている賢治作品は、盛岡と小岩井と雫石が賢治のすべてだと思っている。賢治さんは早池峰にどんどん来ている。
早池峰登山の今昔
(昔は)女の人が早池峰に登るっていうのはダメだったみたいですね。入山券づのがあったんです。神社に納めて登っていく。内川目村と附馬牛(つきもうし)村、川井村だったえかな、入山券に「女性は入れない」と書いていた。裾野は歩けたそうです。岳(たけ)の道路は歩けた。山には入れないけれど。早池峰山の手前、鶏頭山は女性は登れたようです。早池峰だけはだめ。詳しく調べるには川井の人が書いた早池峰の本に書いていたはず。入山券の写真も撮ってあったと思う。
昔の登山はご来光を拝むために夜に登っていたからね。おれのおかあちゃんの実家のお爺さんが十年位前、七十なんぼで亡くなるとき、そのとき言ってたが、「おめは早池峰山さ何回も登っていいな。おれは3回登ったけど御山(おやま)に迎えられなかった」と。迎えられたというのは、ご来光を拝めたことなんですよ。おれは3回行ったけども、ご来光に遭ったことがねがった。そいつだけはなと。その辺の年代の方は悔しがったんだな。ここら辺も町の人たちも、夜が明けるか明けないうちに、まず早池峰に向かって拝礼した。それから氏神様、神棚を拝むというかたちだったようですね。
山の花と登山者の今昔
確かにご来光はきれいだけども、花が咲き乱れる、昔みたいに群生地にわんと盛り上がるような感じが、(今は)山そのものにもないね。昔は、よく詩に書いている「山が燃える」っていうんだえか、ああいう風な表現が今の山にはないんだ。
早池峰の場合は一カ月くらいのサイクルで、白い花が終わったら黄色い花が咲いて、黄色い花が咲いていると思ったら、白いウスユキソウの花が咲いて、それが終わると紫の黒っぽい花が咲いて……。早池峰は一カ月一カ月ごとに見事にきれいに咲いていたが。そういう風なのが、今はあんまり見なくなってきたね。
人が来ないのに、山が荒れているっていうのは、今の人たちが山の歩き方を分からねから、がらがら歩くので壊れていくのは当然ですよ……。昔の人たちの登山は山を歩かせてもらったという、こんな綺麗なところを歩かせてもらってありがたいな、というのが頭の一番最初にある。こんなこと言っていいのかわがねけど、今の人たちはそんなことはひとつもない。一時間、二時間で登れる山だから行ってみるか、花が咲いたから行ってみるか。だから歩き方一つでも、昔の方々は何のために山に行くか、(山に)迎えられる(という考え方)。今は感謝の気持ちがない。
天然の無常と宮沢賢治
震災はそういうふうなことを気づかせることですね。哲学者の寺田虎彦さんが「天然の無常」と書いてたが、あの言葉は、これは今までおれたちも知らなかった言葉で。賢治は言っているんだけど、みんなに生かされていると。これからは言葉だけでなく、生かされていると、3・11あいだにして変わったと思います。
(〈聞き手・鹿川〉:天然の無常、賢治の童話の最後に笑う……たとえば、『なめとこ山の熊』の最後に……。『よだかの星』でも、少し笑ったように……あの笑いが無常観のぬけた結果だと思う。無常観はマイナス思考と考えがちだが、ポジティブに考えるのが賢治の回答じゃないかな。マイナスに考えない。次のステージ、ステップ。再生だもんね。無常観を超えたところに賢治がある。)
だから今、賢治なんですおね。花巻で賢治のまちづくりしているが、本当に賢治は賢治の作品そのままなんですよ。それを何か変にアレンジしたりして。だから合わないんですね。
(〈聞き手・鹿川〉:自分たちの生活と遊離した感じになるもんね。賢治は別物で、遊んでないし、生活に密着していない。町の名前を変えただけにすぎないよね。星の名前を付けてさ。)
岳神楽の精神 早池峰山の信仰
見た人に感動を与える岳神楽の精神は、根本的に伝承ではないということ。三代前の小国誠吉さんがマスコミに早池峰神楽がどんどん出たことがあるんですね。そのとき、やたらに“伝承”という言葉が流行ったことがある。それが大嫌いでね。「俺たちは生きるために、十何軒を守るために神楽をやってきた。伝承じゃなく生きるために神楽をやってきた。安易に伝承とか言ってほしくない。」...岳神楽が見た人に感動を与えるというのはそこなんです。そういう感覚で神楽をやっているんだ。今はどこでも昔の神楽を復活するよとやっているけども、あれは全く真似なんですね。なんでかっていうと、神楽は二軒四方で踊るのが神楽であって、今学校の講堂とかでやっている。あれは神楽ではないですね。
小国誠吉さんも言っているが、おれの代はこうだったからと言うのが、往々にしてあるわけですよ。ですから、やっぱりそのものを継続する。だから岳神楽は長男坊にしか教えられない。次男坊、三男坊には教えない。なぜそういうことになったかといえば、次男坊がお婿さんに行って踊れば違ってくる。今でもおれたちは四面に入れば、おれではない。神様になりきって無我の境地だと。それが本当だと思う。
岳にはそういう風なものが残っているし、早池峰山そのものも、なんかそういう風なかたちに、はっと気づくような、今までと違ったものが見えてくればいいなと思っているんだけど。早池峰山をもっと……なんか上手くは言えないけれど。守るというよりも、なんというんだえな……。なかなか分からないね。
おれは山に行くと体の調子が良くなるんだよね。早池峰山が生きた何億年と違って、おれたちなんかは瞬きにもならないが。この震災で変わるんじゃないかな……。賢治さんの世界だと思う。研究者の賢治じゃなくて、本物の賢治さんだ。それをもっと花巻の人が声を出してほしい。
【取材担当】鹿川・堀岡・佐々木
最終更新日:
2020年08月15日
この記事へのコメント
#1
馬っこ
興味深い貴重な話をありがとうございます。
早池峰山や、岩手の恵まれた環境を守るために、岩盤に穴を開けてはいけないと思いました。
早池峰山や、岩手の恵まれた環境を守るために、岩盤に穴を開けてはいけないと思いました。
2018年06月27日 15:33