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2013年8月5日 の記録
日本料理
投稿者:ふるさと 遺産研究所
カテゴリー:
仕事
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加藤綱男さん
・昭和12年生まれ
・石鳥谷町好地で「新亀家」を営む。平成12年に「現代の名工」に選ばれ、全国でも有数の日本料理人として知られる。
*「新亀家」の創業
(新亀家は)創業が昭和8年からだから、今年で80年。親父が創業して、最初はおもに川魚をメインにしてやっていた。うちの親父は煮方をうんとやった人だったから。花巻温泉の松雲閣で料理長でいた。そして昭和8年に石鳥谷に来て始めた。
親父が煮たカジカや鯉の甘露煮は天下一品だったね。今振り返ってみれば、親父が元気なうちにしっかり習っておけばよかったなってこの歳になっていつも悔いますよ。
*調理師を志す
私がこの道に入ったのは高校を卒業してから。親父はその時分身体が弱かったんですよ。いくらでも早く手伝おうと思って、3月5日に卒業して9日には盛岡に行ったんだ。
大清水多賀で3年間の修業をしたんですよ。今のような自転車うんぬんっていう時代じゃないから、自転車とリヤカーなんだよね。家なんかでも引っぱったことのないリヤカーでお寺に配達したり、自転車で矢巾まで手に持って(出前に)行ったんですよ。来る時は3人くらいで来て、次の日空下げには私1人で、背中に背負って、手に下げて自転車で。
我々働く人は7人だった。私ね、朝起きだけは絶対負けたことなかった。そして5時から野球をした。あの辺り、朝起き野球ってのがあったんだよ。いつも焼芋かおにぎりか差し入れがあった。朝来てすぐまた仕事するんだからね、やっているうちに芋食ったりさ(笑)。私よく仕事する時は、「1にファイト、2にファイト、3にファイト、4がなくて、5にぶっ倒れる」って自分に言い聞かせてやったもんだよ。
*東京での修業
多賀で3年修業して、そしてから東京に。多賀の親父に「東京で頑張ってこ!」と言われて、東京に行ったんですよ。
東京に行ったばかりは、我々なんかは名前なんか呼ばれない。「おい、アヒル」と呼ばれるのよ。なぜかといえば、調理場の所が一段下がっていてそこの水場で魚をこしらえて、ご飯の時だけ上に上がるわけだ。「アヒル」と同じさ。我々7人若いのいたんだけど、「おいアヒル、飯だよ!」と言われれば、「はい!」バシャバシャって。
今の陛下の結婚式のときだから、あやかり結婚が多くて、寝るのは2時間だった。夜の12時まで仕込みして1時間休憩して、1時から朝の5時まで折り詰めをして、朝の5時に終わって、先輩たち5人は休んで、我々7人は後片付けをする。そして6時に寝るわけよ。その後8時に起きるんだから。20歳くらいの時だべな。
東京では池袋の「白雲閣」っていうのが一番先だった。あるときは一日32組の結婚式がありましたよ。1112人だった。9時からスタートして、10分置に結婚式があった。東北のみたいに何百人ではないから、何十人単位で結婚式をやるわけだからいっぱいできた。とにかく天皇陛下と同じ時にやりたいということで忙しかったんですよ。
*宮内庁で働く
色んなところをまわって勉強したったんだけど、水害で(石鳥谷の)大正橋が落ちて、家に帰らなければいけなかった時には、「ホテルニュージャパン」にいた。そこで初めて焼き方(職人)になって、「おい、アヒル」と言っても良い方になったわけよ。だからそこで仕事をしたかったわけよ。でもなんたって家に帰らなければ行けなかったわけ。そこの会長から、じゃあ最後に宮内庁へ行けと言われ、それで宮内庁に行って働くことにした。
昭和35年の4月29日を皮切りに、縁があって宮内庁へずーっと。新宮殿の落成式、義宮様、雅子様、紀子様の結婚式、即位の礼など大きな行事のときは行っていたんですよ。行けば、私たちは坂下門から入って、右手に折れて、そして調理場に行くわけよ。白衣を着て、マスクをして、仮面ライダーさ。誰々だかわからない(笑)。私、たまたま14年に黄綬褒章をいただいた。その時は坂下門から入って、左手に折れて、正面玄関からタキシードで、階段登ってね。「春秋の間」ってところで、天皇陛下から褒章をいただいてきたんだけど、同じ歩いて行き方でも全然気分が違うもんね。
(宮内庁で働く料理人は)地方からってほとんどいないな。ほとんど東京の人。お料理を作って会場にセットすると、働いている人から5人選ばれるんですよ。もう一度盛りつけを確認する作業があった。その中に必ず私は入っていたんですよ。今でも覚えているんだけど、ぜんぜん直さなくても良かったんだけどさ、時代だから、(当時の総理大臣の)“池田勇人”ってあって、直さなくても良かったんだけど、わざと触わってさ(笑)。それは今でも覚えているな。
仕事としては献立の通りだから。3時にはおやつが出るとかさ、決められただけやればいいわけよ。蕪なんかもびっくりするの。1ミリも狂いがないような蕪がそっくり来るんだよ。折に入れる鮭なんかもね、私たちが頭を取る時はなるべく頭に身っこ付かないように斜めに切るんだよね。そうじゃない、まっすぐ切るわけよ。そしておろしたやつを尺(さし)当てて切って、焼き上がってからまた尺あてる。だから絶対折にスパッとはまるわけよ。宮中はこっちに来てからだから、15回くらい呼び出しがあったかな。
*岩手の代表として
どこに行って仕事する場合でも、岩手県代表だからね。どうしてもやはり頑張らなきゃいけないよね。頑張るためにはとにかく食わなきゃだめ。給料はみんな食べることだな。食べることで色んな味もわかるし。だからとにかく食べたなぁ。
平成9年に岩手の名工、平成12年に国の名工、平成14年に黄綬褒章をいただいたんだ。いい先生から教わったからよかったなと思うね。その代わりみんな厳しいけどね。
*加藤さんが考える、“やる気”の見方
一番のやる気あるかないかは朝起きだ。朝早く起きてくるような子はやれる。それと返事の出来る子。今は返事の出来ない子が多い。何と言われようと「はい!」と言うのは絶対いいな。だから私は、「遅寝早起きをやれ」というんですよ。人より遅く寝ても人より早く起きる。「やるんだ、できるんだ、今なんだ」っていうね。今頑張れないのはいつまで経ったってあれだし・・・。
若い人たちにはね、「耐えること、我慢すること、時を待つこと」。時が解決してくれるんだからなって言っているのね。やはりこうやって見て、うちで何十人っているんだけど、その中でも、“新亀にいた”っていうのは限られていますよ。大抵は“いたった”っていうやつだ。だからやはり誰の為に頑張るのでないもんね。自分のために頑張らねばないのだからね。どうせやるんだったらこの道のプロに、でしょ。
*儀式庖丁の資格を取得(「四條真流儀式庖丁」師範)
東京の獅子倉祖憲という先生でね。縁があってね。この先生が岩手県に来たわけよ。県主催の講習会があっておいでになった時に、庖丁式を見て弟子入りしたわけよ。とにかく暇さえあれば東京に行って勉強したんだ。人がやらないことでも何でもやはり教わるっていうのはね、励みになるもんね。ただ料理だけ作ればよいっていうことじゃないからね。(料理は)根が深いからね。
*加藤さんが今まで食べた中で一番美味しかったもの
とにかく腹空いた時に食べる(笑)好きなのは鰻が好きだな。何食べてもまずいと思うことはないけどもね、鰻というのは意外と手がかかる。あとは生で食べる野菜がいいな。もぎたてのキュウリとか茄子なんかでも売っているやつとは違うよ。野菜のまるかじりはいいな。
(父親が作った)甘露煮。これは最高だ。これより右に出るのはない。あのカジカは今でも食べたい。本当に心を込めて煮ねば出来ないな。ぜんぜん骨があたらないんだから。煮るにしても、天ぷら鍋のように厚い鍋で、間接的に時間をかけてじわーっと煮る。すると骨も柔らかくなって、ピカピカと光るの。(甘露煮は)だいたい2日くらいかけるかな。味付けは徐々にやっていく。せっかちなのはわねんだな。テレビや他で講習やるときでも「美味しくなーれー」でさ、愛情が濃いかどうかで出来上がりが違ってくるな。
・昭和12年生まれ
・石鳥谷町好地で「新亀家」を営む。平成12年に「現代の名工」に選ばれ、全国でも有数の日本料理人として知られる。
*「新亀家」の創業
(新亀家は)創業が昭和8年からだから、今年で80年。親父が創業して、最初はおもに川魚をメインにしてやっていた。うちの親父は煮方をうんとやった人だったから。花巻温泉の松雲閣で料理長でいた。そして昭和8年に石鳥谷に来て始めた。
親父が煮たカジカや鯉の甘露煮は天下一品だったね。今振り返ってみれば、親父が元気なうちにしっかり習っておけばよかったなってこの歳になっていつも悔いますよ。
*調理師を志す
私がこの道に入ったのは高校を卒業してから。親父はその時分身体が弱かったんですよ。いくらでも早く手伝おうと思って、3月5日に卒業して9日には盛岡に行ったんだ。
大清水多賀で3年間の修業をしたんですよ。今のような自転車うんぬんっていう時代じゃないから、自転車とリヤカーなんだよね。家なんかでも引っぱったことのないリヤカーでお寺に配達したり、自転車で矢巾まで手に持って(出前に)行ったんですよ。来る時は3人くらいで来て、次の日空下げには私1人で、背中に背負って、手に下げて自転車で。
我々働く人は7人だった。私ね、朝起きだけは絶対負けたことなかった。そして5時から野球をした。あの辺り、朝起き野球ってのがあったんだよ。いつも焼芋かおにぎりか差し入れがあった。朝来てすぐまた仕事するんだからね、やっているうちに芋食ったりさ(笑)。私よく仕事する時は、「1にファイト、2にファイト、3にファイト、4がなくて、5にぶっ倒れる」って自分に言い聞かせてやったもんだよ。
*東京での修業
多賀で3年修業して、そしてから東京に。多賀の親父に「東京で頑張ってこ!」と言われて、東京に行ったんですよ。
東京に行ったばかりは、我々なんかは名前なんか呼ばれない。「おい、アヒル」と呼ばれるのよ。なぜかといえば、調理場の所が一段下がっていてそこの水場で魚をこしらえて、ご飯の時だけ上に上がるわけだ。「アヒル」と同じさ。我々7人若いのいたんだけど、「おいアヒル、飯だよ!」と言われれば、「はい!」バシャバシャって。
今の陛下の結婚式のときだから、あやかり結婚が多くて、寝るのは2時間だった。夜の12時まで仕込みして1時間休憩して、1時から朝の5時まで折り詰めをして、朝の5時に終わって、先輩たち5人は休んで、我々7人は後片付けをする。そして6時に寝るわけよ。その後8時に起きるんだから。20歳くらいの時だべな。
東京では池袋の「白雲閣」っていうのが一番先だった。あるときは一日32組の結婚式がありましたよ。1112人だった。9時からスタートして、10分置に結婚式があった。東北のみたいに何百人ではないから、何十人単位で結婚式をやるわけだからいっぱいできた。とにかく天皇陛下と同じ時にやりたいということで忙しかったんですよ。
*宮内庁で働く
色んなところをまわって勉強したったんだけど、水害で(石鳥谷の)大正橋が落ちて、家に帰らなければいけなかった時には、「ホテルニュージャパン」にいた。そこで初めて焼き方(職人)になって、「おい、アヒル」と言っても良い方になったわけよ。だからそこで仕事をしたかったわけよ。でもなんたって家に帰らなければ行けなかったわけ。そこの会長から、じゃあ最後に宮内庁へ行けと言われ、それで宮内庁に行って働くことにした。
昭和35年の4月29日を皮切りに、縁があって宮内庁へずーっと。新宮殿の落成式、義宮様、雅子様、紀子様の結婚式、即位の礼など大きな行事のときは行っていたんですよ。行けば、私たちは坂下門から入って、右手に折れて、そして調理場に行くわけよ。白衣を着て、マスクをして、仮面ライダーさ。誰々だかわからない(笑)。私、たまたま14年に黄綬褒章をいただいた。その時は坂下門から入って、左手に折れて、正面玄関からタキシードで、階段登ってね。「春秋の間」ってところで、天皇陛下から褒章をいただいてきたんだけど、同じ歩いて行き方でも全然気分が違うもんね。
(宮内庁で働く料理人は)地方からってほとんどいないな。ほとんど東京の人。お料理を作って会場にセットすると、働いている人から5人選ばれるんですよ。もう一度盛りつけを確認する作業があった。その中に必ず私は入っていたんですよ。今でも覚えているんだけど、ぜんぜん直さなくても良かったんだけどさ、時代だから、(当時の総理大臣の)“池田勇人”ってあって、直さなくても良かったんだけど、わざと触わってさ(笑)。それは今でも覚えているな。
仕事としては献立の通りだから。3時にはおやつが出るとかさ、決められただけやればいいわけよ。蕪なんかもびっくりするの。1ミリも狂いがないような蕪がそっくり来るんだよ。折に入れる鮭なんかもね、私たちが頭を取る時はなるべく頭に身っこ付かないように斜めに切るんだよね。そうじゃない、まっすぐ切るわけよ。そしておろしたやつを尺(さし)当てて切って、焼き上がってからまた尺あてる。だから絶対折にスパッとはまるわけよ。宮中はこっちに来てからだから、15回くらい呼び出しがあったかな。
*岩手の代表として
どこに行って仕事する場合でも、岩手県代表だからね。どうしてもやはり頑張らなきゃいけないよね。頑張るためにはとにかく食わなきゃだめ。給料はみんな食べることだな。食べることで色んな味もわかるし。だからとにかく食べたなぁ。
平成9年に岩手の名工、平成12年に国の名工、平成14年に黄綬褒章をいただいたんだ。いい先生から教わったからよかったなと思うね。その代わりみんな厳しいけどね。
*加藤さんが考える、“やる気”の見方
一番のやる気あるかないかは朝起きだ。朝早く起きてくるような子はやれる。それと返事の出来る子。今は返事の出来ない子が多い。何と言われようと「はい!」と言うのは絶対いいな。だから私は、「遅寝早起きをやれ」というんですよ。人より遅く寝ても人より早く起きる。「やるんだ、できるんだ、今なんだ」っていうね。今頑張れないのはいつまで経ったってあれだし・・・。
若い人たちにはね、「耐えること、我慢すること、時を待つこと」。時が解決してくれるんだからなって言っているのね。やはりこうやって見て、うちで何十人っているんだけど、その中でも、“新亀にいた”っていうのは限られていますよ。大抵は“いたった”っていうやつだ。だからやはり誰の為に頑張るのでないもんね。自分のために頑張らねばないのだからね。どうせやるんだったらこの道のプロに、でしょ。
*儀式庖丁の資格を取得(「四條真流儀式庖丁」師範)
東京の獅子倉祖憲という先生でね。縁があってね。この先生が岩手県に来たわけよ。県主催の講習会があっておいでになった時に、庖丁式を見て弟子入りしたわけよ。とにかく暇さえあれば東京に行って勉強したんだ。人がやらないことでも何でもやはり教わるっていうのはね、励みになるもんね。ただ料理だけ作ればよいっていうことじゃないからね。(料理は)根が深いからね。
*加藤さんが今まで食べた中で一番美味しかったもの
とにかく腹空いた時に食べる(笑)好きなのは鰻が好きだな。何食べてもまずいと思うことはないけどもね、鰻というのは意外と手がかかる。あとは生で食べる野菜がいいな。もぎたてのキュウリとか茄子なんかでも売っているやつとは違うよ。野菜のまるかじりはいいな。
(父親が作った)甘露煮。これは最高だ。これより右に出るのはない。あのカジカは今でも食べたい。本当に心を込めて煮ねば出来ないな。ぜんぜん骨があたらないんだから。煮るにしても、天ぷら鍋のように厚い鍋で、間接的に時間をかけてじわーっと煮る。すると骨も柔らかくなって、ピカピカと光るの。(甘露煮は)だいたい2日くらいかけるかな。味付けは徐々にやっていく。せっかちなのはわねんだな。テレビや他で講習やるときでも「美味しくなーれー」でさ、愛情が濃いかどうかで出来上がりが違ってくるな。
最終更新日:
2014年10月10日
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