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2011年11月8日 の記録
酒造り
投稿者:ふるさと 管理2
カテゴリー:
仕事
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佐々木勝雄さん
・昭和9年生まれ
・南部杜氏として現在まで各地で酒造りを行う。特に山形の『東北泉』では数々の賞を受賞、名杜氏として知られる。
*南部杜氏になるまで
最初に働いたのが五所川原です。まず雑役。憧れて行ったけれど、入った途端、「おまえ何も出来ないんだからホウキ持って立ってなさい。」そのころは作り方は何も教えませんよ。南部杜氏で講習会があるから初めてそこで基礎的なことを勉強した。私らの頃は今のような機械化じゃなくほとんどが手作りだったからね。一期、二期、三期、特科、研究科、杜氏科という過程でね、これが試験で上がっていくの。そして、色んな経歴、作り工程の役柄があるから。最初は働き、次は役人、三役、そしてそこを通って杜氏の次の補佐役の頭(かしら)、そういう経験がないと、単位を積んでいかないと試験資格がない。
私、リンゴやっているもんだから、そっちの方を重点的にやっていました。だから杜氏になる気は全くありませんでした。イメージ的に出稼ぎだから。小遣い銭取り程度に働いていたんです。でも、友達がぽつんぽつん試験に合格していくものだから、「こりゃダメだ」と、技能試験と杜氏試験を受けて。前の年に杜氏試験受けてすべって、次の年、これはダメだと思って本気になって、杜氏試験合格して、そのまま一級技能士にも挑戦しようかとなって。それも合格して。北海道で28人中7番目だったかな。それから本気になって酒造りに精を出しました。
私は昭和9年生まれで、6年生頃はみんな戦争の手伝いでろくに勉強しなかった。そのころ高校に入る人も地域の金持ちしか入れない。昭和の40年頃から後輩連中がほとんど高校に入るようになった。その人たちが全然能力が違うから、バンバンと合格してきたのさ。私は42歳の時に杜氏試験に合格した。
北海道で5年やってから昭和53年から山形県の遊佐町というところに行って、そこに25年おりました。銘柄は『東北泉』。その間全国金賞10回、仙台国税局長賞も10回くらい。南部杜氏協会は33回くらい優勝。日本醸造協会長賞もいただきました。
*酒造りに欠かせない〈唄〉
作業が色んな工程があって、洗い物する流し場っていうんですよ。水で洗って、熱湯で殺菌して、そして使うものを毎日毎日洗うわけですよ。その時の唄が流し唄。そして米研ぎ唄、米研ぎは私の頃は機械でしたけれど、一斗ぐらい入る桶で足研ぎをした。それが米研ぎ唄。酛仕込むのは、その頃は山廃酛と言って、仕事も過酷だったんですね。それが荒酛摺唄。次がもろみに入って、三段仕込みだけどね、1日休んで、4日でとめられる。“添”、“踊り”、“仲”、“留”、と、こういくんですね。“踊り”は休むこと。最初は“添”仕込んで、その次は1日休み、その次はその量の倍仕込む“仲”、更にその倍が“留”。そして1本ようやく仕込めます。それが添突き唄。それから仲突き、三転、留突き唄。御祝いにやる唄がとろり節。唄で仕事する。それ覚えるだけでも3年もかかる。教えてる暇ないから聞いて覚えなさいと。要するに給料の半分が、唄を覚えなければダメだよという、“唄半給”という言葉でね。
音頭取りと言って、1人が音頭とって、5、6人が桶に仁王立ちになってかけ声やって突く。朝仕込む時は固いですからね、15分から20分くらい唄歌って突いて。そして仕込んで、麹作るのには日中夜。そして酛を作るには約2週間、もろみ作るには20〜23、4日。そして初めて酒飲める。
もの数えるにも数え唄がある。20まで数え唄がある。数え唄というのもね、唄じゃないですよ。数えるの。例えば、お湯汲むには柄杓で、試桶という20ℓ入るやつに木の桶を殺菌するために熱湯を注いで。7分目くらい入れるかな。熱湯を毎日毎朝20杯ずつ担いで。10人くらいいるから、1人2回くらいかな。こぼしたら痛いの。熱いんじゃなくて。そして使った木の桶を殺菌する。お湯を担いで次の仕込み蔵まで片手で担いで。要するに危険作業だ。その時数える。1人に2つずつ入れるから。ごまかしてもダメだから。
*今までに働いた場所
私の場合は五所川原に一年。そして次の年は北海道にわたって、今の名寄市ですけどね、そこに4年いました。どんどん位上がってくんです。そしてそこで最後に麹助手、麹ややって、次に宮城県の閖上というところに4年行って。そして、私、腎臓結石で4年間休んだの。そしてまた北海道の美深町。そこも4年。今度は帯広へ8年。そこで杜氏試験取ったわけ。次に53年の年に山形に行って、そこで25年。今現在、今年は(茨城に)9年目。
一番右の写真:新堀の諏訪神社にある、酒の神様・松尾大神の碑。岩手県内の松尾大神で一番大きい。
・昭和9年生まれ
・南部杜氏として現在まで各地で酒造りを行う。特に山形の『東北泉』では数々の賞を受賞、名杜氏として知られる。
*南部杜氏になるまで
最初に働いたのが五所川原です。まず雑役。憧れて行ったけれど、入った途端、「おまえ何も出来ないんだからホウキ持って立ってなさい。」そのころは作り方は何も教えませんよ。南部杜氏で講習会があるから初めてそこで基礎的なことを勉強した。私らの頃は今のような機械化じゃなくほとんどが手作りだったからね。一期、二期、三期、特科、研究科、杜氏科という過程でね、これが試験で上がっていくの。そして、色んな経歴、作り工程の役柄があるから。最初は働き、次は役人、三役、そしてそこを通って杜氏の次の補佐役の頭(かしら)、そういう経験がないと、単位を積んでいかないと試験資格がない。
私、リンゴやっているもんだから、そっちの方を重点的にやっていました。だから杜氏になる気は全くありませんでした。イメージ的に出稼ぎだから。小遣い銭取り程度に働いていたんです。でも、友達がぽつんぽつん試験に合格していくものだから、「こりゃダメだ」と、技能試験と杜氏試験を受けて。前の年に杜氏試験受けてすべって、次の年、これはダメだと思って本気になって、杜氏試験合格して、そのまま一級技能士にも挑戦しようかとなって。それも合格して。北海道で28人中7番目だったかな。それから本気になって酒造りに精を出しました。
私は昭和9年生まれで、6年生頃はみんな戦争の手伝いでろくに勉強しなかった。そのころ高校に入る人も地域の金持ちしか入れない。昭和の40年頃から後輩連中がほとんど高校に入るようになった。その人たちが全然能力が違うから、バンバンと合格してきたのさ。私は42歳の時に杜氏試験に合格した。
北海道で5年やってから昭和53年から山形県の遊佐町というところに行って、そこに25年おりました。銘柄は『東北泉』。その間全国金賞10回、仙台国税局長賞も10回くらい。南部杜氏協会は33回くらい優勝。日本醸造協会長賞もいただきました。
*酒造りに欠かせない〈唄〉
作業が色んな工程があって、洗い物する流し場っていうんですよ。水で洗って、熱湯で殺菌して、そして使うものを毎日毎日洗うわけですよ。その時の唄が流し唄。そして米研ぎ唄、米研ぎは私の頃は機械でしたけれど、一斗ぐらい入る桶で足研ぎをした。それが米研ぎ唄。酛仕込むのは、その頃は山廃酛と言って、仕事も過酷だったんですね。それが荒酛摺唄。次がもろみに入って、三段仕込みだけどね、1日休んで、4日でとめられる。“添”、“踊り”、“仲”、“留”、と、こういくんですね。“踊り”は休むこと。最初は“添”仕込んで、その次は1日休み、その次はその量の倍仕込む“仲”、更にその倍が“留”。そして1本ようやく仕込めます。それが添突き唄。それから仲突き、三転、留突き唄。御祝いにやる唄がとろり節。唄で仕事する。それ覚えるだけでも3年もかかる。教えてる暇ないから聞いて覚えなさいと。要するに給料の半分が、唄を覚えなければダメだよという、“唄半給”という言葉でね。
音頭取りと言って、1人が音頭とって、5、6人が桶に仁王立ちになってかけ声やって突く。朝仕込む時は固いですからね、15分から20分くらい唄歌って突いて。そして仕込んで、麹作るのには日中夜。そして酛を作るには約2週間、もろみ作るには20〜23、4日。そして初めて酒飲める。
もの数えるにも数え唄がある。20まで数え唄がある。数え唄というのもね、唄じゃないですよ。数えるの。例えば、お湯汲むには柄杓で、試桶という20ℓ入るやつに木の桶を殺菌するために熱湯を注いで。7分目くらい入れるかな。熱湯を毎日毎朝20杯ずつ担いで。10人くらいいるから、1人2回くらいかな。こぼしたら痛いの。熱いんじゃなくて。そして使った木の桶を殺菌する。お湯を担いで次の仕込み蔵まで片手で担いで。要するに危険作業だ。その時数える。1人に2つずつ入れるから。ごまかしてもダメだから。
*今までに働いた場所
私の場合は五所川原に一年。そして次の年は北海道にわたって、今の名寄市ですけどね、そこに4年いました。どんどん位上がってくんです。そしてそこで最後に麹助手、麹ややって、次に宮城県の閖上というところに4年行って。そして、私、腎臓結石で4年間休んだの。そしてまた北海道の美深町。そこも4年。今度は帯広へ8年。そこで杜氏試験取ったわけ。次に53年の年に山形に行って、そこで25年。今現在、今年は(茨城に)9年目。
一番右の写真:新堀の諏訪神社にある、酒の神様・松尾大神の碑。岩手県内の松尾大神で一番大きい。
最終更新日:
2014年10月10日
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