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2014年6月14日 の記録
木工
投稿者:ふるさと 遺産研究所
カテゴリー:
仕事
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上関 晃さん
(花巻中央地区)
昭和21年生まれ。彫刻家の高村光雲一門の仏師・佐藤瑞圭氏に師事し、上関木工所にて建具や仏像など多岐に渡る木工の仕事を行っています。
平成12年には岩手県から卓越技能者の表彰を受けています。
木工の仕事をしていた父親
生まれは藤沢町。藤沢町の伊藤染工場さんの通りでね、ちょっと引っ込んだとこあったんです。やっぱりほら、機械使ったり材料置いてある関係で表通りじゃなかったの。親父はね、昔は手仕事だけで機械も何もなかったから表通りの店を借りていたらしいけど、段々に裏通りになっていった。
その当時は建具と家具とやってたったんですよね。箪笥作りもしてたったようだから、親父が作った箪笥も残ってる。(父親は)末広町で生まれてね。(末広町の)映画館の向かい側あたりに建具やさんがあってね、東京から修行してきた人がやってて、そこさ半分弟子入り半分職人みたいにしてやってて。
うちの親父は明治44年の生まれだから、学校出てすぐ、大正の末あたりには働いてたったね。独立したのは昭和10年前後だと思うんだよね。その辺りから木工関係の資料が残ってるんですよ。
自身も木工職人の道へ
学校の勉強嫌いだったからね(笑)。で、まず自然と。兄貴達もいなかったしね。妹を学校さ出さなきゃならなかったんですよ。で、親父一人じゃちょっと無理だったんでね、じゃあ親父と二人で働けばどうにかなるんじゃねぇかなぁと思って。まあ、それも一つのきっかけなんですね。
最初にやっていたのは建具ですね。親父は建具の方が専門みたいなもんだったから。昔は障子、襖がほとんどだったですね。それから、ガラス戸類、ドア類がでてきたんですね。今はほとんど和室がないからね。洋ドア関係になってきてます。あと、欄間(らんま)も専門にやってたったですね。欄間、堺欄間、それから書院障子とかね。書院障子も組子、組付彫刻、色々あってね。・・・なくなる仕事ですよね。
組物の仕事
部屋の周りに掛けてあるのは組物類で、ほとんどピースなんですよ。いくらか予備を作っておかないと、足りなくなったり、壊れたりするんで。あと、他所で作ったものを集めてきたり。
親父は組物もやったけど、うんとはやってないんですよ。やっぱり需要も無かったしね。戦後結局幾らか生活が良くなってきて、家も贅沢になってきたんでね。普通の住宅でも堺欄間とか書院障子とか。ほとんど昔は作らなかったです。私はそっちこっち歩いて勉強したけどね。覚えた伝手頼って教えてもらいにいくのさ。(技術は)なかなか教えないです。それでも覚えた人の紹介で行くとそれなりに少しずつ教えるから、その小出しが溜まってくるんですよ。だから、いいもの見てどうすればいいかなってこと考えなきゃいけないです。
親父と同じ事やっても経験的にも敵わないんですよね。だから、(組物は)親父のあんまり手がけないことをやろうと思って始めたのがはじまりですね。
組物ってのはね、“地組”っていう一番大切な、菱形に組むのが一番大変です。いかに正確な菱を作るかっていう。中に模様を入れるのはある程度楽になってくんですよ。だから、地組が一番大切です。組物のピースのことを“葉”って言うんだけどね、これ作るには治具っていう型を作らなきゃいけない。そして量物だから、一回にいっぱい作ることを考えなきゃならない。一品物じゃねぇから。寸法とって合わせなきゃいけないから大変なんです。家によって柱の太さとか間がみんな違うからね。
最初に作った組物は、化粧窓だね。床の間の脇さ狆潜り(ちんくぐり)っていう窓ついてんだけど、あそこに壁掛けの障子作った時に幾らか組物入れたりするからね。それが初めでです。一番単純な模様だったがら上手くいったったけどね。
技術を磨くための練習 ※動画参照
12ミリの小刀が一番使うやつだね。練習もこれでやるんですよ。これ一本で。これはね、手板彫りっていう彫刻屋さんの基本。これを何十枚と12ミリの小刀で削るんです。五寸幅のやつを何枚も。ある程度進めば立体になってくんだね。その時は幾らか彫刻刀の数増やしてくんですよ。あと、部分彫り覚えたりね。時間的には、図面引くのが一番時間かかる。
一番のコツはね、底の深さなんですよ。切る方向に合わせてきちっと底を合わせるんですよ。それで、上手だか下手だか見るんですよ。そういうことを練習することによって手の角度がきちっと決まってくるわけだ。刃物研ぐ時もそうでね、グラグラしてると丸くなってしまうから、真っ直ぐ研がなきゃない。これもやっぱり数こなしていく内にどの刃物でもだいたい同じ角度できちっと研げる。
刃物仕上げは最後まで刃物仕上げ。ペーパーかけちゃダメ。ペーパーかけると艶がないんですよ。年数経てば立つほど艶が出てこない。木の艶が消されるから。昔の物見れば黒光りしてるでしょ。あれはペーパーかけてない証拠。ところが素人さんはペーパーかけたがる。ヤスリかけるのはね、金箔おいたり彩色する時に一回塗った後にかけるんですよ。最初からかけると金箔に艶がなくなる。だから、一回下塗りしてから、研がなきゃないから、その時初めてペーパーかける。だから、先生に一番うるさく言われたのは、とにかくペーパーかけるなって。みんな最後まで刀仕上げ。
仏師・佐藤瑞圭氏との出会い
(太田にある)清水の観音さんやった時に、木取り頼まれたったんですね。全然その時は瑞圭さんと面識もなんにもなかったけどね。で、ある程度玉切りして、それからが打ち合わせだったんですよ。で、打ち合わせし始めて、しょっちゅう行かねばならないから、行ってるついでに「先生ついでだがら彫刻教えろ」って言って。そしてら「いい」って。
瑞圭さんは彫刻家の高村光雲さんの孫弟子でほとんど直みたいなもんだよね。瑞圭先生の師匠さんが山本瑞雲っていう方でね、この人が光雲さんの代作してる人だったんですよ。仙台の瑞巌寺さ大っきな観音様あるけど、これもほとんど瑞雲さんよ。光雲さんの名前でいっぱい出てるけど、半分くらいは代作なんですよ。そこで修行した先生だから、やっぱり光雲さんの名前で出てるんですよ。若い時の仕事見ればびっくりする仕事でね。やっぱり手間かけてる。歳取ってくれば幾らかこう、上手く逃げることを覚えてくるからね。だから、手抜くことも大事だよって言われたこともある。ものづくりはあんまり手入れすぎても良くないって。それこそ手入れれば3Dの機械に負けるの。だから、ノミ跡を幾らか残すとか、そういう感覚を残さなきゃない。
仏像の製作について
雛型作るんですよ。5分の1の雛型。だから、大っきくする時は5倍ずつしていくんですよ。それこそ先生たちに言わせればね、5分の1以上に拡大すればね、狂いが大きくなっていくんです。だから、昔から5分の1ずつなんです。賽割法っていうね、小さく作った時ばらして、マス目にみんな寸法入ってんですよ。それを拡大してくんです。だから、最後にきちんと組み合わせて彫ってけば、割とあんまりずれないでできる。して、ホゾ(※)付けたりあと鎹(かすがい)したりして。寄せ木類はほとんどは外から金箔とかで塗ってしまうから。京都はそれが多いんですね。東京さ来れば寄せ木よりは一木が多いですね。
でも、先生さ言わせれば、「そんな世の中大きい木ねぇんだがらある程度寄せなきゃだめだ」って。すと、(仏像の)肩のとこで寄せろとか、首だけ寄せろとか、そうやってやってくんですよね。
寄せ木の方法は、芋付けって直接びたっとくっつけてるのもあるし、あとホゾ付けでくっつけてるのもあるし、あと後ろから鎹(かすがい)でとめているのもあるし。色々あるんです。だから、何かもってつけてるのはもつんです。ただ、芋付けって直接びたっとくっつけたのは崩れてきやすい。だから、触った瞬間バラバラっといってしまうのもあるんですよ。立ってる時は満足なんだけど人が触った瞬間崩れてくんですよ。
一番古い仏さんは塑像なのさ。粘土で作って固めたやつ。あれが古いんだけど重いからどうにもなんねぇ。崩れてきても補修できないから。ただ、塑像は花巻には無いと思う。小せぇもんならあるかもしんねけど。だから、寄せ木の場合はその通り寄せてるけど、割れ防ぐために今度は内塗りっていうのも中に塗ってしまうからね。そうすれば割れも少なくなってくるし、ある程度計算してやってかないと。
※ホゾ(臍)・・・2つの材を接合する際、一方の材に穴を空け、そこにはめ込むためにもう一方の材につくった突起のこと。
技術の後継ぎ
これだけじゃ生活していくの大変なんですよ。だから生活するなら東京や仙台あたりまで行けば需要があるんだけど、出てくのもあるし、逆に戻ってくる人たちもある。趣味でやって、別な仕事しながら残していってもらえればな。
今はね、今までやってきたことをいくらかでも残さないといけないから、こういうの残しているんです。いくらか経験していれば、何か残っていれば次の人は見ただけでも分かるから。これでゼロからってやるの大変だから。
【取材担当】鹿川、伊藤、小田島(岩手県立大学)、日脇(岩手県立大学)
(平成26年6月14日に取材)
(花巻中央地区)
昭和21年生まれ。彫刻家の高村光雲一門の仏師・佐藤瑞圭氏に師事し、上関木工所にて建具や仏像など多岐に渡る木工の仕事を行っています。
平成12年には岩手県から卓越技能者の表彰を受けています。
木工の仕事をしていた父親
生まれは藤沢町。藤沢町の伊藤染工場さんの通りでね、ちょっと引っ込んだとこあったんです。やっぱりほら、機械使ったり材料置いてある関係で表通りじゃなかったの。親父はね、昔は手仕事だけで機械も何もなかったから表通りの店を借りていたらしいけど、段々に裏通りになっていった。
その当時は建具と家具とやってたったんですよね。箪笥作りもしてたったようだから、親父が作った箪笥も残ってる。(父親は)末広町で生まれてね。(末広町の)映画館の向かい側あたりに建具やさんがあってね、東京から修行してきた人がやってて、そこさ半分弟子入り半分職人みたいにしてやってて。
うちの親父は明治44年の生まれだから、学校出てすぐ、大正の末あたりには働いてたったね。独立したのは昭和10年前後だと思うんだよね。その辺りから木工関係の資料が残ってるんですよ。
自身も木工職人の道へ
学校の勉強嫌いだったからね(笑)。で、まず自然と。兄貴達もいなかったしね。妹を学校さ出さなきゃならなかったんですよ。で、親父一人じゃちょっと無理だったんでね、じゃあ親父と二人で働けばどうにかなるんじゃねぇかなぁと思って。まあ、それも一つのきっかけなんですね。
最初にやっていたのは建具ですね。親父は建具の方が専門みたいなもんだったから。昔は障子、襖がほとんどだったですね。それから、ガラス戸類、ドア類がでてきたんですね。今はほとんど和室がないからね。洋ドア関係になってきてます。あと、欄間(らんま)も専門にやってたったですね。欄間、堺欄間、それから書院障子とかね。書院障子も組子、組付彫刻、色々あってね。・・・なくなる仕事ですよね。
組物の仕事
部屋の周りに掛けてあるのは組物類で、ほとんどピースなんですよ。いくらか予備を作っておかないと、足りなくなったり、壊れたりするんで。あと、他所で作ったものを集めてきたり。
親父は組物もやったけど、うんとはやってないんですよ。やっぱり需要も無かったしね。戦後結局幾らか生活が良くなってきて、家も贅沢になってきたんでね。普通の住宅でも堺欄間とか書院障子とか。ほとんど昔は作らなかったです。私はそっちこっち歩いて勉強したけどね。覚えた伝手頼って教えてもらいにいくのさ。(技術は)なかなか教えないです。それでも覚えた人の紹介で行くとそれなりに少しずつ教えるから、その小出しが溜まってくるんですよ。だから、いいもの見てどうすればいいかなってこと考えなきゃいけないです。
親父と同じ事やっても経験的にも敵わないんですよね。だから、(組物は)親父のあんまり手がけないことをやろうと思って始めたのがはじまりですね。
組物ってのはね、“地組”っていう一番大切な、菱形に組むのが一番大変です。いかに正確な菱を作るかっていう。中に模様を入れるのはある程度楽になってくんですよ。だから、地組が一番大切です。組物のピースのことを“葉”って言うんだけどね、これ作るには治具っていう型を作らなきゃいけない。そして量物だから、一回にいっぱい作ることを考えなきゃならない。一品物じゃねぇから。寸法とって合わせなきゃいけないから大変なんです。家によって柱の太さとか間がみんな違うからね。
最初に作った組物は、化粧窓だね。床の間の脇さ狆潜り(ちんくぐり)っていう窓ついてんだけど、あそこに壁掛けの障子作った時に幾らか組物入れたりするからね。それが初めでです。一番単純な模様だったがら上手くいったったけどね。
技術を磨くための練習 ※動画参照
12ミリの小刀が一番使うやつだね。練習もこれでやるんですよ。これ一本で。これはね、手板彫りっていう彫刻屋さんの基本。これを何十枚と12ミリの小刀で削るんです。五寸幅のやつを何枚も。ある程度進めば立体になってくんだね。その時は幾らか彫刻刀の数増やしてくんですよ。あと、部分彫り覚えたりね。時間的には、図面引くのが一番時間かかる。
一番のコツはね、底の深さなんですよ。切る方向に合わせてきちっと底を合わせるんですよ。それで、上手だか下手だか見るんですよ。そういうことを練習することによって手の角度がきちっと決まってくるわけだ。刃物研ぐ時もそうでね、グラグラしてると丸くなってしまうから、真っ直ぐ研がなきゃない。これもやっぱり数こなしていく内にどの刃物でもだいたい同じ角度できちっと研げる。
刃物仕上げは最後まで刃物仕上げ。ペーパーかけちゃダメ。ペーパーかけると艶がないんですよ。年数経てば立つほど艶が出てこない。木の艶が消されるから。昔の物見れば黒光りしてるでしょ。あれはペーパーかけてない証拠。ところが素人さんはペーパーかけたがる。ヤスリかけるのはね、金箔おいたり彩色する時に一回塗った後にかけるんですよ。最初からかけると金箔に艶がなくなる。だから、一回下塗りしてから、研がなきゃないから、その時初めてペーパーかける。だから、先生に一番うるさく言われたのは、とにかくペーパーかけるなって。みんな最後まで刀仕上げ。
仏師・佐藤瑞圭氏との出会い
(太田にある)清水の観音さんやった時に、木取り頼まれたったんですね。全然その時は瑞圭さんと面識もなんにもなかったけどね。で、ある程度玉切りして、それからが打ち合わせだったんですよ。で、打ち合わせし始めて、しょっちゅう行かねばならないから、行ってるついでに「先生ついでだがら彫刻教えろ」って言って。そしてら「いい」って。
瑞圭さんは彫刻家の高村光雲さんの孫弟子でほとんど直みたいなもんだよね。瑞圭先生の師匠さんが山本瑞雲っていう方でね、この人が光雲さんの代作してる人だったんですよ。仙台の瑞巌寺さ大っきな観音様あるけど、これもほとんど瑞雲さんよ。光雲さんの名前でいっぱい出てるけど、半分くらいは代作なんですよ。そこで修行した先生だから、やっぱり光雲さんの名前で出てるんですよ。若い時の仕事見ればびっくりする仕事でね。やっぱり手間かけてる。歳取ってくれば幾らかこう、上手く逃げることを覚えてくるからね。だから、手抜くことも大事だよって言われたこともある。ものづくりはあんまり手入れすぎても良くないって。それこそ手入れれば3Dの機械に負けるの。だから、ノミ跡を幾らか残すとか、そういう感覚を残さなきゃない。
仏像の製作について
雛型作るんですよ。5分の1の雛型。だから、大っきくする時は5倍ずつしていくんですよ。それこそ先生たちに言わせればね、5分の1以上に拡大すればね、狂いが大きくなっていくんです。だから、昔から5分の1ずつなんです。賽割法っていうね、小さく作った時ばらして、マス目にみんな寸法入ってんですよ。それを拡大してくんです。だから、最後にきちんと組み合わせて彫ってけば、割とあんまりずれないでできる。して、ホゾ(※)付けたりあと鎹(かすがい)したりして。寄せ木類はほとんどは外から金箔とかで塗ってしまうから。京都はそれが多いんですね。東京さ来れば寄せ木よりは一木が多いですね。
でも、先生さ言わせれば、「そんな世の中大きい木ねぇんだがらある程度寄せなきゃだめだ」って。すと、(仏像の)肩のとこで寄せろとか、首だけ寄せろとか、そうやってやってくんですよね。
寄せ木の方法は、芋付けって直接びたっとくっつけてるのもあるし、あとホゾ付けでくっつけてるのもあるし、あと後ろから鎹(かすがい)でとめているのもあるし。色々あるんです。だから、何かもってつけてるのはもつんです。ただ、芋付けって直接びたっとくっつけたのは崩れてきやすい。だから、触った瞬間バラバラっといってしまうのもあるんですよ。立ってる時は満足なんだけど人が触った瞬間崩れてくんですよ。
一番古い仏さんは塑像なのさ。粘土で作って固めたやつ。あれが古いんだけど重いからどうにもなんねぇ。崩れてきても補修できないから。ただ、塑像は花巻には無いと思う。小せぇもんならあるかもしんねけど。だから、寄せ木の場合はその通り寄せてるけど、割れ防ぐために今度は内塗りっていうのも中に塗ってしまうからね。そうすれば割れも少なくなってくるし、ある程度計算してやってかないと。
※ホゾ(臍)・・・2つの材を接合する際、一方の材に穴を空け、そこにはめ込むためにもう一方の材につくった突起のこと。
技術の後継ぎ
これだけじゃ生活していくの大変なんですよ。だから生活するなら東京や仙台あたりまで行けば需要があるんだけど、出てくのもあるし、逆に戻ってくる人たちもある。趣味でやって、別な仕事しながら残していってもらえればな。
今はね、今までやってきたことをいくらかでも残さないといけないから、こういうの残しているんです。いくらか経験していれば、何か残っていれば次の人は見ただけでも分かるから。これでゼロからってやるの大変だから。
【取材担当】鹿川、伊藤、小田島(岩手県立大学)、日脇(岩手県立大学)
(平成26年6月14日に取材)
最終更新日:
2020年04月27日
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