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2013年10月30日 の記録
チーズ作り
投稿者:ふるさと 遺産研究所
カテゴリー: 仕事
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伊藤 行雄さん

昭和21年生まれ

大迫町でこだわりのチーズ作りをしています。
平成27年に、手作りチーズ「早池峰醍醐」で岩手県で7人目、花巻市では初の地域特産物マイスターに認定されました。



チーズを本格的に作り始めたきっかけ

 チーズ作りは長男が生まれた年だから、昭和49年。そのころから作り始めたから40年近くだな。親父の代から大迫で牛飼ってたから。まあいずれ、野菜作っている人は漬け物に加工するとか、果物作っている人はワインとかジュースとか加工するってことは誰でも考えることだ。やっぱり牛やさんは牛やさんなりに、バターとかヨーグルトとか作るってことは、誰でも考えることですよね。最初は絞った牛のミルクをちょろまかしていたずらで作っていた。(チーズを作るようになったのは)20歳過ぎてからだな。

 コミュニティセンターが出来た時、記念講演に村田柴太さん(元大迫町長)が東京農大の先生を呼んできたんだよ。それがたまたまチーズの先生だった。何十種類ものチーズをドンッと持ってきて。せっかく東京から先生を呼ぶからということで、老人クラブから青年会、消防、婦人会までみんな呼んだわけよ。その時そのチーズをみんなが食った。「おい、行雄、こんどはチーズ作れ」とこうなったわけさ。

 大迫のワインは柴太さんが作ったわけだ。ただ、柴太さんは、“売れないクズ葡萄でワインを作る”という発想なわけさ。牛乳缶の中に牛が足を突っ込んだりして二等牛というのがあったわけ。それで、「おい行雄、二等牛でチーズ作られないか」という発想だったわけさ。「その発想は駄目だ。じゃあ俺、勉強してくる」って。



チーズ作りを勉強 組合を立ち上げる

 それで東京農大に行く予定だったけども、先生も町長さんも忙しい。それで、とりあえず岩手大学の菊池修二教授さ連絡して。農学部畜産学科では一年に一回だけチーズ作ってたのさ。そこさ行って作り始めて。(岩手大学へは)農業青年を集めて行ったのさ。みんな最初はさ、チーズチーズって20人も来たんだよ。結局最後に残ったのは俺だけだったという。

 それで、せっかくやってんだから、<ワインとチーズの会>を作って、行事のたんびにチーズを作ろうと。でもやっぱりもうちょっと専門的にやらなきゃいけないなということで、宮城蔵王酪農センターさ行って勉強してきたの。で、隣近所で3人でチーズ加工生産組合を作ったわけ。3人でやったけども、結局はあとの2人は乳搾りで忙しいから、俺は牛辞めて、専門にかかった。



海外へチーズ研修に行く

 中央酪農会議の海外チーズ研修というのがずっとあったわけ。それで、「誰か行かねえか」と役場さその資料を持って行ったのさ。そしたら、「やっぱ行雄さんしかいねえべ」とか言って勝手に申し込んでいたの。そしたら“決定になりましたから、11月30日に千代田区のJA会館に来てください”って書いてあった。まあしょうがないかと思って行った。岩手は福岡の全酪、それから、北陸からも行ったし、北海道はもちろん、宮城蔵王からも。あとはあちこち。九州のほうからも来たっけな。

 チーズ製造はたいしたことないんだよ。その他のことを勉強させた。チーズの流通だとか、乳酸菌は何ぞやとか、化学反応はどうだ、分析はどうのこうの。ところが全部機械でさ、スイッチの操作員なんだよね。全くおらみたいな手作りチーズなんか作っているところないわけさ。

 それで、勉強にならないから、もうこれはしょうがない、となって、とにかくワイン・ジェラート。ローマからはピッツァに今度は切り替えて、ピッツァばっかり。ローマを境にして、ローマより北の方は綿棒でやった薄くてパリパリ。ナポリのほうは綿棒使わない。全部手だけで、柔らかくて、たたんでもいいようなピッツァ。ナポリが発祥の地だからね。

 そして、非常にナポリは物騒だからさ。追っかけられて、慌ててホテルに戻ったなんてことがあった。日本人だとわかると、「コレ盗ンダ、盗ンデキタ。買エ、10000エン、10000エン。」こうやって声かけて、「5000エン、5000エン。3000エン、3000エン。1000エン・・・」「せわしい!あっちさ行け!」そう言えばやっぱり、何か言葉はわからないんだけど声の調子が高いからと止める。それ以上やると今度はやられる。だから、車も全部ハンドルから何からこんな太いのでロックしているもんね。壊して持ってかれる。

 スイスなんかは300年前のチーズ小屋ってやつを移築して、髭のお爺さんが1人でやってた山小屋。そこでちゃんとしたチーズが出来るんだけどね。薪を焚いて、そしてそこに、でっけー銅の鍋を吊るして、アームになったやつ動くようになって、熱くなれば火から離して、温度が下がれば火の近くにやって、温度調節しながら作ってたんだっけ。

 (日本に帰ってきてから)うんと寒い年、木が倒れて3日間停電になったんだよね。その時丁度チーズ作りしてたったの。「ありゃー、停電だ、ダメだ。」って。停電なったためにボイラーが動かない。何も動かない、電気もつかない。「チーズはどうしますか、捨てますか。」って。「馬鹿者!300年前のチーズの作り方勉強してきたんだ!」ボイラーが効かねえからお湯がでないわけさ。だから寸胴さ水入れて湧かして、温度調整しながら作ったの。それがたまたま何かの時しゃべったんだよ。そしたら、「伊藤さんのところは、300年前のチーズの作り方をしてるって」っていうことになってさ、問い合わせがあったことあったった(笑)。



チーズに相応しい牛

 科学的にいうと、人間の乳の脂肪球はすごく小さいんだって。脂肪球が小さいってことは吸収がいいってこと。それで、それに次ぐのがヤギなんだって。ヤギ、綿羊がそれさ続いて、あとは、水牛、ブラウンスイス、ホルスタイン。それからジャージーなんてのは一番粒子が粗いから、あれはチーズには向いてないんだよ。本当はね。結局、脂肪が高くて、無脂固形分が高いと、数量がいっぱいとれるってことなんだよね。そういう意味でむいている牛ってのはあるから、今ホルスタインはちょっと。今ホルスタインやっている国は少ないんじゃないかな。だから日本はまだ、チーズ文化にはまるっきり程度が低い。



ブラウンスイス

 ブラウンスイスは放牧に適した牛で、ホルスタインよりちょっと小型だったんだけども、それがアメリカさ渡ってどんどん改良されて。そしてアメリカから日本さ輸入してきた。だから大迫でもまだ40頭にならないかな。ブラウンスイスは結局補助金の関係があるから、何か成果をださなければいけないわけさ。それで一生懸命やれやれと言われる。それで、俺たちもブラウンスイスオンリーで作った。作ったけど味が分からない。それで、ブラウンスイスだけ出してわからないんだから、ホルスタインと一緒に作って、2つずつみんなさ食べてもらうべってやったの。それでも、誰もブラウンスイスが美味しかったっていう人いない。「美味くね」っても「美味い」っても言わね。だから俺、ブラウンスイスにこだわらないの。高い値段で買ってブラウンスイスで作ったって、売れなきゃしょうがないんだよ。絶対美味しいんだけどさ。

 ただ、月に2回とか3回って牛乳の検査があって、サンプルとってって、脂肪が何ぼ、無脂固形が何ぼ、細菌数何ぼって全部検査するから、その時点で成分のいいやつは高く。結局ブラウンスイスの乳がいっぱい入っていれば単価は高くなる。だから今ホルスタインでも85円/ℓ。ブラウンスイス入ると90円くらい。それがオーストラリアさ行くと、30円/ℓだからね。チーズの値段だって3分の1でいいわけですよ。何ぼ俺頑張ったってどこさも敵わね。



試行錯誤のチーズ作り

 外国に研修に行ったのは平成6年か7年。今の場所では平成2年から作ってた。(商品開発して売るには)「3年かかるんだ」って言われたけど、3年では何にもならないね。売るには売ったのさ。ただ、売れなかった。なぜかっていうと、オランダのゴーダチーズを真似して作ったわけ。それは結局熟成タイプだから3ヶ月以上熟成しているから、臭いんだよ、どうしても。売れないのさ、ぜんぜん。それで背に腹は代えられず、俺は嫌いなんだけど、モッツァレラ作ったら、売れるようになった。みんなバブルでイタリアとかスペインとかヨーロッパの方行って向こうで食べてきているから、「あら懐かしいわー!」「モッツァレラがあるわー!」なんて。あとはアメリカから来たピッツァブームで、モッツァレラがグーンって。

 長く置いた方が、塩分も感じなくなる。だからあの、大きさによってね、塩水さ浸ける時間を変えてるわけ。それは誰も教えてくれねから、全部自分で何回も何回もやって、これはこのくらい、これはこのくらい、って。だってモッツァレラの作り方もストリングの作り方も知らねえもん。見たことねえもん。全部自分で考えつく。だから蔵王酪農センターの俺の先生も、バルククーラー(※)にチーズを入れるっつうのは知らなかったわけさ。「これはいただきっ」って言っていった。塩水もバルクで冷やしたのさ入れるわけ。これ使えば、全部自動的に合わせれば、ぴたっと一人で変わるもんね。

※搾乳した生乳を冷やして保存するためのタンク



大迫のワインとチーズ―元大迫町長・村田柴太氏のこと

 政治家っていうよりも文化人で、音楽もうるせし、詩とかそういうのもうるせし。ただ、そういう環境の中で鍛えられたからああなったべし。脳は柔らかいから、色んなことに挑戦するっていう。前は見てる人だったね。そうしているうちに、「行雄チーズやれ!」ということで「よし!やる!」ってやって。最初出来たときも、さいちゃんの家で試食会をして。「うめくねーなー」って。

 柴太さんがいねば、(大迫に)ワインもねえしチーズもねかったということは確かだ。だからそういう点では確かにさばけた人だ。ただ、根本的な発想は、二等牛でチーズ作るとか、売れねえクズ葡萄で作るって発想はわがねって俺言ったの。でも、根本的なものは確かに理屈はなってなかったかもしれないけど、発想としてそういうの出していくってのはね、出来ないんだよね、普通の人は。今から30年も前の話、“ワインとチーズのマリアージュ”なんて言葉使ってたんだ、あの人。誰も何の話だか全然わかんねかったんだよね。今だったらみんな知ってるよーみたいな。今思えば確かに、やっぱりあの人じゃねばこういう考えは生まれなかったと思う。



写真2枚目:伊藤さんの手作りチーズをのせた手作りピザ
最終更新日: 2016年01月09日
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